Like Sugar&bitter chocolate  邦ドラマと映画の甘くてちょっとほろ苦い感想雑記。けっこなんでも飛び出すごちゃまぜブログです。お暇つぶしになれば幸い。ヾ(≧∇≦)
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2015*05*15(Fri)
Dr倫太郎 第5話 感想
何かようやくどっしりとした重みのあるものを見た満足感が得られました~。
今回のお話は、ここに来て纏めのようでもありスターターでもあり。
ようやくドラマの核心部分に足を踏み入れたって感じです。
また映像や演出で流していく手法も見事で、ちょっと上質な片鱗を見ました・・・。
こうこなくっちゃ!

今回の主軸は、恋愛と共感の違いについて。そしてダイレクトにギャンブル依存症の説明。
とうとう来たか。

冒頭からヤケにこのドラマの設定らしきものを延々と説明してくる構成に、本筋に入った印象を受けます。
言っていることは表面的な心理学用語でしたが
この狙いって、どう見ても、対立図式として
倫太郎の行為に、恋愛か共感か?という意識を植え付けたいのだと考えられる。

私には、最初から、倫太郎が恋をしているようには全然見えなかったし
病院で医師で、この程度のやり取りで恋とか言われちゃうと、鼻で笑っちゃいますもんね。
少なくとも夢乃が診察室に現れた第3話ラストで、二人向き合わせたカットから
私には恋ではないという確信が芽生えて、俄然話も面白くなりました。

「精神科医にとって、恋愛は百害あって一理なしと先生はおっしゃいました
 恋愛をすると男性ホルモンが増大して、患者さんのお話が聞けなくなるって」

そうです、そのスタンスを保ちつつ、ギリギリのラインまで患者さんに歩み寄る所が
精神科医ドラマの愉しみでもあったと思うんですよ。
その意味で、倫太郎先生かっこいい!


しかしここにきて、改めてこうして念を押されると
(見逃した人や忘れた人へのクライマックスへ向けての復習ともとれますが)
逆に、目晦ましなんじゃないかという気がしてきた。

恋愛ではなく、共感だという、逆説的な意図だとばかり思っていたけど
恋愛と共感の違いは何か?についてのクドイ程の説明を、一話丸々使って説明してきた所を見ると
倫太郎の行為は共感ではないのかもしれない。
・・・・や、恋愛でもなくて、これ、倫太郎の母親感情のスライドが起こるんじゃないか?


幼馴染の百合子が見兼ねて、先輩医師に相談。
そこでのセンパイの説明がコレ。

「患者さんが大事な人に向けた感情や態度をね、治療者に向けてしまうことをこれね、転移って呼ぶんです
 患者さんにとって大事な人が、治療者に乗り移っているように感じてね
 その感情を治療者に向けてしまうことです

 この転移もね、陽性転移っていうのと陰性転移っていうのがあります
 患者さんが治療者に恋をしているような状態で
 まあ、その場合概ね・・・治療者には協力的で、治療には友好的なことが多いんです

 ただね、今度逆に、治療者の方が、この患者さんの転移感情に反応してしまって
 心の中で患者さんのことが好きになったり、大事な人に置き換えたりしてしまうことがあるんです
 それを逆転移といいます」


わざわざ物語冒頭で、このクダリをさせたってことは
逆転移が起きる危険性を残したいための指摘であることは確かですが
倫太郎の恋愛か共感かの不確定要素を煽るためじゃなく
恋ではなく、母を救えなかった過去から、大事な人を夢乃にスライドして認識を起こし
越権行為に出てしまうということを示唆しているように、感じました。


ラストの倫太郎と夢乃母の一騎打ちは見物でしたもん~。
母親の下衆っぷりというか毒々しさが、も、ビリビリくる!
狂気染みていて、手強さと根深さを感じました。
高畑さんも圧巻の壊れ具合で怪演されていました~。

死者を侮辱するような発言。
明良には「生まれてきていいに決まっている」と告げたのに
対比するように、「お前なんかいない方がいいんだ」

緊迫感ハンパねぇ。

物語も
夢乃が明良の中に表れた根源を突き止めるには
どうしたって倫太郎がこの母親と直接対面しなきゃ始まらない。
でも母親が診察室になぞ来るわけないですから、どうやって接点を持たせ
どうやって話を進めるのか。

そこが差し当たっての最大の興味ポイントでしたが
実に自然で、その誘導もスムーズでした。
夢乃の変化を感じ取った母親自ら、倫太郎宅へ乗り込んでくれたよ!

これで、倫太郎が、この母親への治療へも気付ければ、“事件”は解決なんでしょうね。

この対立に、同じ母親という軸から、倫太郎の母親の角度が挟まれ
そのことに未だ怨恨を残している倫太郎だからこそ、過度に反応し
確かに逆転移・・・・夢乃の存在が倫太郎の母親の存在と同一化する、というスライドが起こるんじゃないかと
睨んだんですけど。
どうだろう。



そんな母親の本人無自覚の病、ギャンブル依存症。
今回扱った病も、もうダイレクトに、そのギャンブル依存症。
この点からも、ドラマが佳境に入ったことが伺える。

1~3話までの混沌とした造りから一転
しっかりとしたドラマ骨格とプロットが見えてきて、嚥下出来る展開です~。
しかも、それを感じたのは製作サイドの方なのか
迷走感もなくなり、見せ方、煽り方も上手い!

さっき述べたラストの一騎打ちの画もそうですし
このゲスト患者さんの扱いもそう。
彼女自体は粗雑な簡単にチロっと流されましたが
それの意味するところは、この患者さんで言いたいことは、視聴者への推測だろう。

治療の困難さや恐怖みたいなものを、軽く描き、ギャンブル依存症の恐ろしさだけを印象付ける。
その患者が再発した所から話は始まって
そのまま画面が夢乃母へイン。

うまい~~~~~。

台詞一つなく、夢乃母のことを直接言っている訳でもなく
これは、この患者の話ではなく夢乃サイドの補足
つまり母親の病の根深さを訴えているのだと、瞬時に視聴者側に推測が起こる。
視聴者の思考を、言葉なく夢乃サイドの補足として伝える、このさり気ない演出が見事でした。

こういうの大好き。
こういうのが見たいし、こういうのを見せられるとゾクゾクしちゃうv



夢乃との立ち位置に、荒木先輩もお節介。
でも、ここでの倫太郎の言い分から、このドラマの本懐と言いますか
描きたい部分が透けたような気がして、とても重さのある、しっかりとしたシーンでした。

堺雅人さんは、こういう単調な台詞を延々と続けるのを
きちんと視聴者に聞かせるのが、めちゃめちゃ上手い。

「な、今おまえの心ん中、占領しているのは誰だ」
「夢乃さんというか、明良さんというか・・・・どっちが主人格か分からないんです
 解離性同一性障害の治療に於いては、複数ある人格のうち誰を対象に治療を進めるのか
 それを考えますよね
 夢乃さんの本名はあきらですから、明良さんが元々ある人格であることは確かです
 僕としてもなんとか彼女を助けてあげたい

 しかし弱弱しい明良さんでは今の困難な状況を乗り切るのは難しいです
 だとすれがこの先、明良さんではなく夢乃さんの人格を支えていった方が
 彼女は幸せなのかもしれない」


そうなの?!
こういう病気を扱った他ドラマで、複数の人格がお互いの存在を認識しているという設定は
見たことがありますが
主人格を乗っ取るというネタもありましたしね。
でも、それはあくまで“病んでいる状態”であって、治療をするなら主人格に主導権を握らせるのが常
だと思ってた~~~~。


「おまえのそれは恋だ」
「じゃあ逆に質問しますけど、先輩は恋愛と共感の違いはなんだと思いますか」
「まあそうだな、ま、共感は握手まで。まあ、これ、抱き合っちゃったら恋愛だな」
「同感です。
 抱き合ったらお互いの顔は見えない。
 相手がどう感じているかは二の次で、自分の感情を先行しているのが恋愛。
 顔と顔を合わせ、心を通い合わせるのが共感。
 僕は心から彼女に共感し、診察したいんです
 恋愛なんかしたら彼女を救えないじゃないですか」

これ!これ!
この解釈が凄い説得力を持って響き、このドラマの面白さがようやく見えました~。


「おまえのそのさ、真剣過ぎる所が逆に心配なんだよな・・・
 だけどおまえ、ミイラ取りがミイラになるなよ
 その夢乃とかいう芸者、円能寺とかいう理事長が入れ上げている女らしいぞ」
「うっそぉ!」←ここはウケたw


円能寺に食事に誘われ、ハイヤーで掛け付けたものの、フラッシュバックに逃げだしてしまう明良。
ありがとうと誕生日を祝う家族。
扉の外で泣き崩れる自分。

このドラマは多くを言葉で語らせず、映像を挟むことで説明を行う。
そこに、巧みな戦略が見えて、凄くイイです。
視聴者に考えさせてしまうことで、理解度が深まるんですよね。
この場合は、明良の。


そこからの海辺のシーンは圧巻!
明良が倫太郎に電話で助けを求めて、海まで掛け付ける倫太郎。
(そんな医者がいるか!・・・とは突っ込まないw)
倫太郎の母が自殺している経験上、倫太郎が掛け付けるだけの動機として
辛うじて不自然さを軽減させているとも思う。

砂で戯れている明良を見て、彼女の精神状態を分析するシーンも良かった。
砂場と分析、映像で、明良の心理がよく説明できていたと思いました。
分かり易かったです。


で、明良の生い立ちを聞いた倫太郎。
「先生、ずっと傍にいてくれませんか」
「はい、ずっとあなたの傍にいます」

ここまで何度も繰り返されている台詞ですけど、響きました~。
不安定な人間にとって、変わらない物があるってことが、何よりの拠り所なんですよね。
この海辺のシーンを見て
手をつないだ二人が恋愛だと思う人は、擦り切れる程の不安やどうしようもないほどの心許なさ
つまり心の歪みを感じたことのない人だと思う。


一緒に同じお茶を呑む。
手を恐る恐る伸ばし、それを握る。
ほんのちょっとの安定を得られる縋る想いが、ちょっと見てられなかったです。


また、百歩譲って、いっそ恋愛させてでもいいから、自分に意識をむけさせることが先決という
下心があったとしても、それも一貫として不自然さはないとも、感じた。

そういう意味で、弱った人間の隙間を縫う感じで、丁寧に心の問題を紡ごうとしている努力は
凄く感じられるお話でした。
母親代わりの女将さんが、誕生祝いをしてくれることに、恐怖すら呼び起こす衝撃を感じる・・・
気持ちがすっげえ分かるな~と。

勿論、本当は何も分かってないんだろうな~、聞き及んだ表面的な知識だけで描いているな~と
感じる箇所も所々あるのですが
それを差し引いても、心の揺らぎが抒情的に描かれているなと。


だからちょっと惜しかったのは、細かいことですが
倫太郎が「寂しいのは明良さんだけではありませんよ」って慰めた所。

これはちょっとちがう。
意図する所は、気持ち分かるよ、とか独りじゃないよってニュアンスでしょうが
こういう台詞を弱った人が聞くと
大概の場合、前半ではなく後半の否定語に反応してしまうものだ。

どうして私ばっかり、とか、どうしてこんなに苦しいのか、ということを延々と考えている訳ですから
自分の気持ちを否定されたように感じ取ってしまうんですよね。
みんなは普通で居られる訳で
でもみんなも寂しいのだったら
それに耐えられない自分は、駄目である。

そういう思考回路になる筈なんです。
ここはもうちょっと言葉を選んで欲しかったです。デリケートな問題ですからね。


同じ、言葉の理解の差という意味では
倫太郎の過去が、良かったです。切なかった!
鬱状態のお母さんに
「お茶なんかいい、行ってきます。お母さんも頑張ってよ」

うぎゃあああすっげえええわかる~~~~~。
この、“頑張って”という台詞はキーワードで、1話から頑張らなくていいですって倫太郎は言っていますよね。
でもこの倫太郎が母親に投げた台詞のスゴイ所は
その直前のお茶にもある。

自分が差し出したものを、「いらない」と一旦否定を入れている所だ。
こっちの方がポイントなんですよ。
自分の行いを否定されたことで、自分を否定されたように捕えてしまう。
母親は二重に傷ついて、プツリと切れてしまったんだろうな~と。

「頑張ってと言ってはいけない」という理屈は
テンプレすぎて、これ入れておけば、納得するでしょ的な打算が見えて、実は嫌だ・・・。


その日、電車に飛び込んだとのことで、倫太郎はそれをずっと後悔していたと語った。

倫太郎の後悔も、また分かるな~。
笑ったり泣いたり一生ないんじゃないか、とか、選ばれた言葉は身に沁みました。


そんなこんなで、今回は演出的にも力が入り、煮詰めた作品を出してきたような気がしたので
今後もちょっと楽しみです。
私の邪推通り、スライドが起こるのだとして、ならばそれをどうドラマとして表わすのかという面も
興味津々ですし
そうでない展開なら、なら今回1話使って恋と共感の違いを念を押してきたのは何故なのか。
色々、疑念が生じさせられました。(笑)

前回レビューでも言いましたが、どう決着を付けるつもりなのかは、それほど重要じゃないんだろう。
その病気の紹介VTRでも有るわけではないし。
色々詰め込んでいる所に、評価をしておりましたが
今後、解離性一本に絞られるのであれば、またちょっとニュアンスも変わってくる。
も、ホント、色々、探究心が煽られた~~~~。
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