Like Sugar&bitter chocolate  邦ドラマと映画の甘くてちょっとほろ苦い感想雑記。けっこなんでも飛び出すごちゃまぜブログです。お暇つぶしになれば幸い。ヾ(≧∇≦)
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2015*02*01(Sun)
12人の優しい日本人(三谷幸喜脚本)感想
GYAOで配信していたので滑り込みで観てきましたvずっと気になっていた映画なんです。GYAOいいね!

1957年製作のアメリカ映画を元にした三谷幸喜脚本の法廷映画ということで
舞台設定や人物設定、脚本の骨格まで、色々そっくりな内容でした。
でも、裁判大好きアメリカ社会と異なり、あ~日本ならこうなるよね~という独自の視点が加わっていて
色々人間臭いドラマになっており
ある意味、正義を貫いた米国版より、生々しいかもしれない。

様々な人間の性質を見る物語と言っても過言ではない。
その切り口は流石というか、見事でした。

でもこんなにイライラさせられるとは思わなかった!(爆笑)


『12人の優しい日本人』1991年度作品
監督/中原俊 脚本/三谷幸喜 
興行収入???
←めっちゃ低いらしいwだよなーw

三谷幸喜が東京サンシャインボーイズのために脚本を書き下ろした舞台劇を原作とした映画。
アメリカ映画『十二人の怒れる男』へのオマージュとして
「もし日本にも陪審員制度があったら?」という当時架空の設定で描かれた法廷密室劇。


ちなみに、本編の感想を書く前に述べておきたいのが
原題とも言える『十二人の怒れる男』!!
私が史上最高傑作作品と信じて疑わない作品だったり。
もう色々かんっぺきだよ!!これ以上ってないよ!!
初めて観た時は卒倒するかと思った。
今まで観た映画の中で間違いなくナンバーワン。しかもダントツ。

***
『12 Angry Men~十二人の怒れる男』
監督/シドニー・ルメット 脚本/レジナルド・ローズ
陪審員
マーティン・バルサム/ジョン・フィードラー/リー・J・コッブ/E・G・マーシャル/ジャック・クラグマン
エドワード・ビンズ/ジャック・ウォーデン/ヘンリー・フォンダ/ジョセフ・スィーニー/エド・ベグリー
ジョージ・ヴォスコヴェック/ロバート・ウェッバー

1957年製作のアメリカ映画。
密室劇の金字塔。殺人事件の審議を巡る陪審員達を描いた法廷劇の大大傑作。
***


素人の私が何か言うのも憚られる名作中の名作なので、説明する必要もないでしょうが
とにかく、たった12人だけの登場人物で
ごくごく小さな部屋だけで
審議だけで進められる脚本が、何の隙もない!秀逸すぎる間と台詞。

感情的にヒートしている訳でもないのに、じっとりとした議論が
夏の蒸し暑さと湿度の高さ、通り雨などで補足、増長され
白黒映画なのに、鮮やかな一室が表現されていく。

換気扇。壊れた窓。汗と閉塞感のある埃臭い部屋。

裁判とは何か、正義とはどういうことかを静かに訴えながらも
陪審員たちの背景までえぐり出す、人間味あふれるドラマが加えられ
人を裁くということは、己の人生さえも丸裸にされるリスクを持つ刃なのだと、真剣味を暴かれる。

やがて評決と共に12人の意識が一致していくこのカタルシス。

更にエンディングは、雨上がりの街へ、一人一人消えていく一期一会。
かっけえぇえぇぇぇ!!!!ヾ(≧▽≦*o)ノ
渋いー!
痺れるー!

これ以上の名作はない。(断言)
観る度、息詰めちゃう。


***

それをパクった元にしたこの日本版は、そんな舞台テイストをほぼ模倣している。
物語も、みんなが無罪を主張する中、ただ一人有罪を唱える反逆者がいるところが発端となる。
米国版と逆なのね~と思ったのも束の間
審議は迷走した上で、一回転して戻ってくるw ←この無駄加減も、日本人らしいというか

しかし、それより何より面白いのは
ここには、米国版主演ヘンリー・フォンダのようなヒーローがいないことだ。
米国版は、陪審員の物語という形を取って「正義」とは何かを、最終的に問うていく。
利潤や私欲などとは無関係の場所に在る、人間として揺らいではならない、越えてはならない一線というものが
裁判においては、正義であり、社会規範だ。

しかし日本版はそうではない。

そんなものはごみくずと同じで、見向きもされず
日本が大事にするのは
確かに正義も大事だが、それよりも、生活する上で大事なのは、場を波立てない、人を悪く言わない。
同調の風潮こそが“世間様”のルールであると言わんばかりだ。
それは時に、正義すら網羅してしまうのだ。

そこが、如何にも日本人らしい・・・・というか、らしさが表れている。

右習え&事なかれ主義こそが、社会規範であり
その国民性が、彼らの美徳なのである。

それは、法律社会に於いて、似て非なるものである。
『疑わしきは罰せず』という理屈は、米国では正義のシンボルかもしれないが
日本では、慣れ合いや村社会の文化だ。
あそこの娘は可愛い。あの子は品が良い。
そんな理由で、みんな無罪である。爆笑。←いや笑えない


その日本的理屈が延々と繰り返され
どこかで誰かが目覚めさせ、正義と法に開花するかと思いきや
上記したように、結局誰も、正義の鉄槌を振りかざさない。
裁判など、所詮、対岸の火事にしかならない。

でも、それこそが日本人だとも思える。
自己主張が強い人間など、浅ましいとすら、映るこの日本社会。
平成の世も長く、欧米に感化されたとは言え
みーんながシロと言っている所を、一人クロと言ったら、叩かれる。浮く。
それが現実。

そんな中で唱える、理屈や正論こそ、場を白けさせてしまう戯言にさえ成り下がってしまうリアルさが
妙に生々しい。
そこのチグハグさが、実に滑稽であり、人間的であり
現実的に見えてくる。

故に、『日本人には弁論・・・つまり、陪審員は性に合わない』
そういう皮肉を込めたメッセージが込められているような気さえする。



じゃー、日本人はみな馬鹿なのか?
これは日本人を中傷する物語なのか。
というとそうではなく
日本人だってやる時はやる。やれば出来る子なのだ。

何が凄いって、結局あーだこーだと井戸端会議を繰り返すオバチャン達が
何気に、真理を突いてくるように
ごちゃごちゃ言っている内に、何やら真相に辿り着いてしまうということ。

その辿り着き方は、決して理論で武装した御大層な弁論などではなく
「ええぇぇ~・・・・・?強いていうならフィーリング?」

これ以上ないという、推理が立てられた時点で
特に明白な理由もなく、反対意見を覆さない一派の主張は正に
思いやりだの同情だの、ご近所付き合いを大事にする下町感覚だ。

絆されることもなく。宗旨替えしてくれることもなく。
全員が同じ温度で盛り上がったとは到底言えない空気の中
それでも決着は導かれる。


米国版では
議論を続けている内に、「・・・あっ!そうか、そう言えば・・・!」と気付きの瞬間が訪れる。
それによって、徐々にクロからシロへの賛同が増えていく訳だが
そこが、たまらなく気持ちが良い。
みんなが一致するというよりは、この一つ一つパズルのピースが詰められていく説得力が
見事であり、人間本来の資質ともいうべき、理想形態だ。
それに、意見を変えられる男気と勇気がカッコイイんだよって言う
如何にもアメリカナイズなクールさも含む。
そうして、徐々に一つの心理的集団(同志)へと昇華していくのだ。(かっけ~。)


故に日本版には、そういったカタルシスが、いつまで経ってもやってこない(爆)
永遠にやってこない。
誰もカッコ良くない。

加えて、中盤では、多数決で多い方に意見を変えろと言いだす始末。
それに誰も疑問を抱かない。
そう、それが民主主義の民意というものである。

しかし、冒頭は「被告の女性がすっごく可愛いから」という理由で無罪を主張していた彼らが
ラストには「被告に殺意があったことは証明できない」という理由で
無罪を決断する。
無罪で再び一致する。
結果は同じでも、全く事情が異なった。
個人ではなく、民衆としてカッコイイんだな。
正に、三人寄れば文殊の知恵なのだ。

ここもまた、面白いと思う。
結果こそが重要とし、そこへ向かって加速していく米国版とは違い、過程の重みを見させているのだと思った。
故に、結論に論理的な理屈など、必要ない。
一応、裁判だから理屈は通したけど、論理的思考など、あるだけテーマが霞む。


人情で、なんとなく違うという結論を、結実させてしまった。
そんなオチか!と、もう色んな意味で眼を剥く。
でも、とても日本っぽくないですか?そういうの。

勿論、私は理屈っぽい人間なので、そんなの絶対認めませんけど(笑)
ただ、これが、実態なんじゃないだろうか。
そんな気がします・・・。

そしてそれは、決して、真実を突き止めなくても恥ずかしくない姿勢や
主観で物事を判断する軽率な態度を
批判している訳ではないと思った。
私達日本人にとって、大事にしているのって、輪でしょ、って言っているみたいな・・・・。


誰もがヒーローにもならないまま、決着。なれないのではなく、ならないのだ。
民意とは、慣れ合いと妥協と、ほんの少しの優しさの文化だ!(違)

何もしなくても、結論は同じでしょ、という切り口は、米国版への挑戦にも思え
皮肉めいているのも、後から考えれば、失礼なようでいてニヤニヤもする。
人が人を裁くのに、御大層な正義なんか必要なんかなく、大切なのは
思いやりの精神と、優しさであり
それで、万事解決できるのだ。
・・・・・そう言い切る三谷幸喜のドヤ顔が見えるようである。



惜しいのは
12人もいる濃いいキャラクターたちは、米国版と同じ風味の人物が設定されているが
12人の性格描写が、全員がうまく表現されていたとは思えない点。

ヤケに自己主張の強い、目立ちたがり屋で、総勢で攻められれば子供みたいに拗ねちゃう。
話が全く通じない人。話を聞かない人。聞く気もない人。
理屈っぽい人。自意識過剰な人。
あ~、米国版にもこういう人、居た居た居た~(=^・^=)

しかし、彼らの背景が丁寧に描かれた挙句、それが事件の展開を補足していた米国版と異なり
別に、似た人を出しただけな印象。
だったらいっそ、全く違う人間像を持ってきた方が、後出を意識せず、楽しめた気がする。
特に、三谷幸喜なら、愛嬌と愛着のある、独特なキャラクターを生み出せそうなものなのに。

唯一、最初に冷静な口調で、審議を望む彼が
一人客観視出来ていた視点が、やがて、計画殺人の可能性が浮上した辺りから
自分本意の主張に成り変わっていたことを徐々に匂わす台詞回しは
上手かった。
少々不気味さを感じさせるスライドだった。

彼だけではない。
議論がしたいと言っていたオジサンも、やがて、人の意見を聞かないだけの人との境界が薄れる。
人の色んな面を付与しているのは、ミステリが変化していくのと合わせて
米国版と同じだけど、やっぱり面白い。


画面の見せ方や、会話の強弱、それぞれのキャラクターで進む展開・・・・
繊細で、独特の手法で、見ている分には楽しいのだが
でもそれ、米国版と同じだし・・・・と幾度となく思った。

ストーリーリズムの変化、アクセントの入り方。
エンターテイメントとして完成度が高いが、それもまた、アッチと同じだよね・・・・。


特徴的なのは、モーツァルトのピアノソナタで全編を彩っていることか。
それが、まるで宮廷のお遊びのような印象を醸し出し
所詮、裁判など人ごとであるというスタンスを、深層心理に植え付けているような気がした。
裁判など、所詮、対岸の火事にしかならないという
無意識のスタンス補足になっていると思う。


故に、作品演出としての独自色は少なく
正に、内容(展開)の違いだけが、目を引く。
むしろ、そうさせるために、他全てを同じにしてきたのか?という感じ。

その中で、日本人の人としての関わり方の特徴や、日本的解釈を加えた脚本は
日本への愛と、裁判への揶揄が込められ
中々、面白いと私は思う。
これはこれで、悪くはないんじゃないかと思えた。(本家の方が好きですが!)


特に冒頭。
サービスの飲み物を決めるシーンからのごちゃごちゃわやわやは
それだけでもう、見ていて非常にイラつくものであり
(何が欲しいかハッキリ言わない、注文をコロコロ変える、メモひとつできない、などなど)
こんな人たちに裁判の決着付けられたくないわ~と
米国版とは真逆の感想を抱く。

そのイライラを、そのまま引っ張って引っ張って
引っ張られている内に、いつの間にか物語の中へと入り込まされていた。
真実が知りたいという好奇心もあるが
その群衆に反発心を抱くことで、集中させられていった。

結局、そのフラストレーションは何処にも開放されることなく、視聴者に残される。
それもまた、島国の我らの特徴のような気さえする。

まぁでも、ここまでイライラさせることもなかったんじゃないかとも思いますが。
どこかでガス抜きさせてくれれば良かったのに。



事件の真相さえ、定かではないことは、法廷劇では普通なのでヨシとして
それで決まっちゃうのかよ!とツッコミたいラストも ←裏付ける証拠などがある訳ではない
「疑わしきは罰せず」ということで、これで良いのだと思える。
ってか、この不安な人たちでよくぞここまで、辿りつけた・・・・!

本当にエンディングまで先を読ませない脚本であった。(撃沈)
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