Like Sugar&bitter chocolate  邦ドラマと映画の甘くてちょっとほろ苦い感想雑記。けっこなんでも飛び出すごちゃまぜブログです。お暇つぶしになれば幸い。ヾ(≧∇≦)
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2016*09*25(Sun)
宮部みゆきサスペンス「模倣犯」 感想
ラスト橋爪功さんの演技にすべて持っていかれた・・・!老成の迫力。派手な役ではないのに若手を圧倒していた。
クライマックスで分かる模倣の意味もある意味台無しのレベルである。
悪の連鎖を断ち切ったのに残る遣り切れない苦しみは、胸が突き刺さる程苛烈な余韻を残していて
それが観る者の誰でも持つ過去の傷痕を抉り、衝動だけが残った。
序盤ではなく、敢えて収束後に見せる転げ回るような喪失の苦しみが壮絶。
この奪われた苦しみに比べたら模倣の意味も逆転もパッションな事件もどうでも良くなる。
凄い作品だった。


テレビ東京ドラマスペシャル 宮部みゆきサスペンス「模倣犯」
2016年9月21日22日放送
監督/松田秀知 脚本/森下直
 


原作未読。映画未視聴。
テレビ東京本社の六本木移転を記念したプロジェクト「六本木3丁目移転プロジェクト」の
ドラマスペシャル第1弾として制作されたらしい。二夜連続放送。

実は宮部みゆき作品は割と好きな方で、模倣犯は一度原作で読んでみたいと予てより思っていた作品。
つい疎遠になってしまっていて早十数年。そんな矢先のドラマ化。
内容を知りたい好奇心に勝てず、思いきって視聴。
いやはや、凄かった・・・!
物語がというよりは、劇場型に持っていくシチュとラストの終わらない不気味さがである。


ドラマの舞台は、テレ東としてはしっかりとしたロケ地で、丁寧に造られているという印象だ。
近代的な公園の現場、下町風情の故郷、山深い別荘地、主人公の住む古ぼけた工場、豆腐屋。
印象の異なるマッチしたロケ地が選定されていて、映像にも説得力がある。

台詞や思考、回想に昭和テイストを思わせるのは、この作品当時の時代を象徴しているのか。
価値観や登場人物観が古めかしいのに、冒頭きゃりーちゃんの映像っていうのは
後になって振り返れば違和感があるのかもしれない。

それでも凄惨な世界観を彩る背景として、壊さない美術背景で
原作を丁寧に熟読したのだろうと思わせられたし
本当に丁寧に大事に作ってみましたというスタッフの意気込みを感じさせられた。


出演者さんたちも違和感はないキャスティングである。
多少拙い人はいたが、全体的に、特に大御所の存在感は絶大だったため、ストーリーに素直に溶け込める。
俳優さんの底力を見せられた布陣。

◆主演、滋子役・中谷美紀さん。
主婦あがりの能力欠如な粗暴さが呆れるほど体現的で
クライマックスの綱渡りの賭けの際どさが熾烈に出ていた。
その分、前半は苛々させられることも多々あるが、それも演技力だろう。
この人は日常ほのぼのお気楽キャラよりも
後半の追い詰められた後のシビアな舞台で青筋立っているようなギスギスした雰囲気が似合う気がする。

◆ピースの網川浩一役・坂口健太郎さん。
一番重要な役どころですが、生々しく気持ち悪い感じはマッチしていると思った。
彼の笑顔と狂気の落差がドラマの肝となるが、それは少しあざと過ぎる気はした。
不気味さが露骨?というか。
最初の登場時点で、既に変人ナルシストオーラ全開でしたけど。
他人には好青年、でも、内なる狂気に呑み込まれている人。
そういう意味なら、可憐なビジュアルで、変貌後にもっと崩れる感じが欲しかったかも。
でもそれって逆にリアリティあったかも?

◆実行犯、ヒロミ役・山本裕典さん。
前半のダミーとしての犯人であったヒロミは、「ケケケ」の言い方が独特であり特徴的だったが、なーんか平凡。
良くあるイカれた犯人像だろうこれ。ベタだな・・・。だからこそ前半はなんらメリハリがない。
操り人形だったのだとしても、もっとラスボス感出ていても良かったかな。
こちらへのフェイクとして。
また、カズに説得されて絆される車のシーン。
ブレーキが効かない、カズごめんって言うシーンは結構キてしまったが
それでももっと切迫感あった方が絶望感出たと思った。

◆疑われて道連れにされてしまうカズ役・満島真之介さん。
少し知能が弱いという設定だからこそ、ピュアな感じを出したかったのだろう、悪くなかった。
平凡だったヒロミにカズが加わるタッグとしたことで、犯人像に足りないスパイスを補足した感じにもなっていて
死人に口なしとばかりに死後犯行を擦り付けられる後半の振り幅になってたのは面白かった。
難しい役どころであろうに、ヒロミを説得する別荘のシーン。
なんか健気で必死な感じ、声のトーンや抑揚が凄く良かったです。
変に感情移入しすぎてドラマティックに演じられると逆に萎えてしまう難しいシーンだったと思う。
さじ加減が適度だったと思えた。

◆同居する塚田真一役・濱田龍臣さん。
・・・・・こう言っちゃなんだが、宮部作品に必ずいそうなキャラ。(気のせい?)
女性の心を擽るような少年を出そうとして世相を何か作者が掴みきれていない感じの。
良く思うんだが、この作者さん、萌えという感覚を多分知らない。
だけど成長途中の色気ある瑞々しいキャラクターを編み出してみたい思考錯誤?
どこか足りなく、間違えている作者さんの妄想のズレにいつも微妙な感覚を抱く。・・・いえ、これは偏見ですけども。

そこはともかく。
棒読みなんだが濱田龍臣さんの拙い感じは凄く良かった。
平たい喜怒哀楽がどこか危うい感じを残していて、悪に引き摺りこまれる縁に立ちながら堪えている雰囲気を纏う。
ラストは彼だけが明るい方へと成長を遂げる。
唯一の救いであり、それはこの爽やかな彼とのイメージにも合っていた。

◆そしてそしてっっ。何と言ってもこのドラマの立役者。豆腐屋の有馬義男役・橋爪功さん。
もうこのドラマは彼に始まり彼に終わった・・!すんごい圧巻の存在感である。
一夜目は被害者の一部である地味なじぃちゃんだったのだが、その平凡さの非凡さが後半に連れ徐々に花開く。
特に二夜めの存在感は圧巻。
正直、タイトルにもなっている模倣の意味が小説のクライマックスであろうに
彼の、豆腐屋さんの苦悩で、ドラマの箔が最後に逆転した。
切々と静かに満ちるように余韻を引き摺り、もう全てが彼の想いに集約していた。
折角終わらせた悪夢の物語も、最初に巻き戻しである。

勿論それこそが言いたかったことなのだとすれば、このドラマは大成功である。
終わらない悲しみまで描き切り、一度発した殺人の取り返しのつかない重さを訴えてくる。
その何とも言えない苦い余韻。

ただ、それで良かったのか。
悲劇の後も続いていく日常の中で、豆腐屋が閉店することで、その日常の断裂は充分伝えられたのではないか。

同じように豆腐を買いに戻ってくる滋子の能天気な笑顔の奥で、ひっそりと消えて行く全てを奪われた孤独な老人。
世の流れに彼もまた消えて行くこの無常さ。
その何とも言えない余韻は、一方で、ドラマがここまで描いてきた結論を
最初から覆す。
四時間も付き合わせて振り出しか・・・。

え、それでいいのか・・・この嘆きがいらなくないか・・・・模倣犯とライターの影がまるでない。
滋子の逆転劇も、模倣犯の鮮烈な自己顕示も、派手な時代も、なんか、消えて行く。
そのくらい、「返してくれ」と泣き崩れるじぃちゃんの嘆きは、衝撃的なインパクトを残していた。



実際の物語。
粗筋は・・・公園で女性の切断された腕が見つかったところから発する連続殺人事件。
腕と一緒に身元が分かるようなもの(定期入れなど)を残すが
テレビ局に、遺留品はまちこのものだが、その腕の持ち主はまちこではないと一報が入る。
そこからマスコミが騒ぎだすことで世論が誘導され真実が有耶無耶になっていくという話。(主観)


構成は重厚で、スタッフ努力は伝わるのですがこの内容なら二時間サスペンスに纏められそうだった。
四時間の長丁場にするだけの説得力があったかどうかは少々疑問です。
原作には重厚感があるのなら、もっとエピを掘り下げるべきという疑問が残った。
そう思わせるのは、序盤、無駄なエピが多いことと、必要な説明がなされないこと。

一夜めは正直散漫としていて、事件が次々起こるのは目まぐるしいのだが
それをナビゲートする滋子に共感性がなく
ラストには真犯人のコンダクターがバラされ、滋子も被害者ぶっていて萎えてしまい
もういいかな・・・と思ってしまった。

事件の意図を主人公に絡ませないから、どうしてもそういう主観になってしまう。
原作を知っていたらまた違った感想を抱けるのだろう。
だが未読のまっさらな頭で観ると、沢山のファクターが散漫したまま、接点も焦点も暈したままの展開は
まるで、細切れのパーツをばらまいただけのような錯覚である。
事件が個別だと言いたいのではなく、パーツ同士を繋ぐ誘導がない。

滋子と義理の母親のシーンなど、無駄なカットも多かった。
専業主婦を否定し「嫁は子供を産んでこそ嫁」という時代錯誤な発言も、昭和を感じさせる辛辣な台詞で
世相は伝わるのだが、それが後半生きたとは思えない。
後半、夫に離婚を突き付けられ、夫の理解を得られない孤立無援の主人公という
それこそ背水の陣となるギリギリの設定での人間の強さを表現したかったのだろうが
その確執に、別に昭和色はいらないし、姑も必要なかった。
それは別にこんなシーンでなくても充分表わせたと思う。

それは後半にも言えて、被害者詐欺のシーンとかなんだったんだ。要らないだろう。


その尺を、もっと重要な真一との感覚の違いや距離感を伝える分に宛てて欲しかった。
或いは実行犯となるヒロミの苦悩とか。核なる部分がとことん中途半端だ。

姉の幽霊が見えるとかいきなり言われても、小学生なら怖いかなとは思うものの
それが動機となるのは根拠が薄い。
姉が表れるようになるまでのヒロミの家庭環境こそが重要事項だろうに
そこはスル―ってどういうことか。
同時に、救ってくれたヒロミのピースへの盲目的な信頼度も説明不足な気がした。
そういう基本設定が、そういう状況なんですよっていう前提条件だけになっていると
結局のところ、殺人という衝動に走るだけの重さも
比例してピースの恐さも、何も伝わらない。


滋子と真一の距離感も微妙。
滋子が血も繋がらない真一を預かると言い出す突飛さはこの際目を瞑っても良いが
その後、滋子が真一を本当はどう思っているのか、共感して同情しているのか
そこにある感情は肯定なのか否定なのか。
そもそもそこから滋子のスタンスが垣間見えない。

よって、真一と滋子の繋がりが本作に何かしらの影響を与えたとは思えず
なんかやっぱり補足が足りないというか。

失踪女性がかつての取材で出会った少女たちと知って、いきなり記事を書きたいと直談判。
再燃しちゃった熱き想いはいっそもうそれでいいけど
その後、事件に対する滋子のスタンスも曖昧過ぎる。
事件に対して憤っている熱い正義感があるのか、損ねた夢に生きたいだけなのか。
真実を知りたいだけなのか、事実を公表するべき使命感があるのか。
本当は熱い正義感があるのに、それが伝えられなくてもどかしいのか。

・・・・もうそういう基本スタンスが一切見えずに、なあなあで進んでいくなら
いっそ俯瞰視点で物語を構成してほしかった。
滋子もまた主人公でありながらドラマが客観視点で進むのであれば、これで良いのかもしれない。
中途半端に滋子視点で物語が進むから
滋子の主観が見えないストーリーはいっそ軸がないのと同じ浮遊感に付き纏われる。
滋子の理解は丁寧に描写してくれないと、ドラマ自体がコマ切れなのだ。

結局、台詞はいいんだけど、シチュが弱い。
一見人間的な良い台詞が挿入されようと、そこに至るまでの軌跡がないから
なんか台詞だけが飛んでいる。
シーンごとの滑らかな誘導がなくて、ぶつ切り状態。
つまりキャラクターの心情が突発的すぎて、こちらの感情が追い付かない。

悲劇における凄惨さとか、悪いがまったく伝わらなかった。見た目が派手なだけ。
各被害家族の苦悩とかも抽象的すぎる。

そのくせ、ジャーナリストなのに、犯人からの電話を豆腐屋で受け取って
煽られて挑発。
「次に男が死んだらお前のせいだ」と言われて、男が死んだから自分のせいだと街をふらふら。
はあぁあ????
付いていけない。

仮にもジャーナリストなら、その挑発で自責を負うってちょっと普通の感覚として疑問だ。
この線が、クライマックスにも引用されることから、とても重要な伏線だと思われるが
だったらもっと説得力と普遍的要素ある罪悪感を用意して欲しい。
「女ばかり狙って男を狙わない臆病者」だなんて煽り文句を言う前に
ジャーナリストの端くれなら他に言うことあるだろう・・・。

ジャーナリストに対する確固たる信念がある訳でもない、所詮主婦のお遊びな感覚も疑問。
そこに憤りを感じるアンタの方がおこがましいわという感覚だ。
キャラクター描写が稚拙すぎて、誘導が下手すぎである。



二夜め。
そういう前半の拙さが、なんと、後半に入ってギアを上げる。
特に複数の家族に焦点を当て、家族との在り方を描いてきた前半と違って
後半はメディアとの戦いだ。
こっちの方がよっぽど面白かった。

ネット社会は恐ろしいなんて、今でこそ陳腐なありふれた文句であるが
そんなことよりも、報道の自由に隠れるジャーナリズム批判ともとれる、二極構図が面白い。

実行犯が主犯であると主張する雑誌側と
煽りたて、背後に潜むもう一人の存在を仄めかし彼らもまた被害者であると訴える一般論。
その矛先が最後に殺人を煽った滋子へと向かい
実行犯が死んでしまったことへの怒りを集約して、追い詰めて行く。

真実など簡単に誘導できるジャーナリズムの愚かさとか、脆弱性を想わせつつ
ここまで来ると、滋子が主婦あがりで虚ろな存在であったことさえ
ジャーナリストの実態の希薄さを伝えてもいるような気さえしてくる。
ここで大した素材であることを視聴者に植え付けないために
だから前半あんなお馬鹿で平たいキャラな滋子で通してきたのかと思ったくらいだ。

一気に引き込まれてしまった。


また、そんな滋子を、外から追うような流れへとドラマの視点もシフトする。
滋子の感情がストーリーに影響を与えないので
滋子が何をしでかすかという面白味や、事件がどう決着付くのかという期待などが
摩擦なく調和していて、勢いを感じられた。
うん、やっぱりこの方が正解である。

そんな風に滋子の本音を暈したまま、傾れ込んでいくクライマックスは
どう出るかが視聴者としても読めないからこそ、実に緊張感溢れたサドンデスとなった。
テレビの生中継という緊張感だけではない、緊迫性が画面から出ていて
もう画面に喰いつくように見た。


反論もしないまま惨敗したような滋子に最後に何か言いたいことはないかと問うアナウンサー。
そっと手に持つ外国雑誌。(書籍?にしてはデカイ)

「つまりパクっちゃったんですよ~」
「違う!全部僕のオリジナルだ!!」

言っちゃったー!!!

滋子にしては嫌味の一つだったこの台詞。
小説家になりたかったという滋子の設定もこのためか。
彼女でなければ出なかった、プロとしてのプライドを逆なでする嫌味に、ざまあみろと思わせられたのも束の間
まさかの自白だー!

煽られたピースが著作権を主張するとまでは滋子にしても想像を越えた自白に
こっちもやったー!って心が湧き立つ。

証拠もなく、調子に乗った自己顕示欲強い男なだけに
警察も手も足も出ない不気味さの一角が、こんな形で白昼堂々と崩れるなんて!
前半からメディアの存在を匂わしていたのはこのためか。
だからテレビ中継だったのか。

色々とファクターが一気に繋がって、しかも、完璧だった男の自信が
まさか自分の性で足元を掬われる、この最高の一手。
ゾクゾクしました。

挿入されるテレビクルーたち、警察関係者たちの衝撃の表情を一瞬にして挿入する演出も見事。
カタルシスが煽られた。
爽快感だけでない、何とも核心的な心理的誘導を、じわじわと追い詰めていく滋子の声のトーンや
カメラインの角度など、もう最高だった。


そしてもう一つ。
模倣犯ってそういう意味かー!おおー!
でも、その後楽屋で、滋子は提示したその本は偽物であることを告げる。
模倣犯はこっちかー!

偽の証言で誘導なんて、確かに並みの度胸じゃ出来ない賭けで、それがまた観る者のカタルシスを深める。
そこには一切の人間感情の醍醐味だとか、深い心理描写なんかなくて
劇場型のパフォーマンスだ。
でも狡猾で神経質なまでに計画を立てたであろう、犯人の一角が
こんなもので、こんな見え透いた嘘で崩れるところがまた、皮肉でもあって、対比が極端だなと思った。


その真犯人、ピース。
「本当の悪の物語ですから。
 悪とは理不尽に理由もなく善良な人間の頭の上に突然打ち下される肉体的精神的な暴力。
 打ちおろされた人間が何でこんな目に合うのか分からず理解できないから苦しむ」

「理解とは打ちおろす側に観客が回ることなんですよ」

この発想が凄くそそられた。
成程なとなんとなく思った。
犯人にもそれなりの理由があるだろうと考えていく内に、やがて一つの辻褄を合せて
その瞬間、怒りや憤りを共感する。
そういうのは、分からなくもない。

勿論、そこから飛躍して、相手の鬱憤や悔恨に呑み込まれ、こちらが打ちおろす側に回るかどうかは
また乖離しすぎている気はするが
それでも協調性という言葉が馴染みの日本人には有り得そうな論理だった。
それを加害者の身内への二次被害への警鐘として主張していく本作は
止まない連鎖を確かに見せ付けてくる。

そういう独自の理論を声高らかに称賛する犯人ピースの狂気は
後編に入って早々に見られるが
バラされたことで、滋子との対話はなんか不気味な感じが出ていて会話の質が前半とまた
ガラリと変わる。
傍に近寄るたび、なんか不気味なオーラが出ていた。

その変化は面白いんですけど、もっとその変化を視聴者にも伝えるような造りにはできなかったのか
そこはちょっと残念だった。
真犯人が彼だとバラしたからこそ伝わる恐怖は
知らないからこそ視聴者自身が気付いていく恐怖とはまた別である。

また、彼がそうなってしまった出生の秘密は、もうちょっと時間割いて噛み砕いて欲しかった。
ほとんど棒読みというか、説明調で流されたため
彼の奥深い人格形成へ真摯に更けることは出来なかった。


で、その恐怖に、滋子が有馬さんにどうしてそんなに強くあれるのか?という問い。
こういう所でしっかりと社会の土台を支える大人の役割みたいなものが、もうグッとくる。

豆腐屋のじぃちゃんは「腹が立っても日常を繰り返す」と答える。
人は何処かで自分を護る術を持っていて、それは日常だと。
そこには言葉を告げない説得力があって、魅入ってしまったシーンだ。

繰り返される平凡な毎日の連続が、人を冷静にも平穏にもしていく。
それは分かる。
多大な悲しみを負った人間はその悲しみに呑み込まれるけれど時間が癒すと人はいう。
それは時間が癒してくれるのではなくて、長い時間が悲しみと同列に積もることで
大きな中の一つに埋もれることであり、悲しみが矮小になった訳ではないのだ。

橋爪さんのこの包容力は圧巻で言葉が響きました。
その余韻が冷めやらぬまま、犯人に脅される真一の変わりに啖呵も切って
護る大人の寛容。
「真実はブーメランみたいに自分へ帰ってくる」

強い。経験が裏打ちした大人の言葉だ。
みんなそんな馬鹿じゃない、必死に護って戦っているんだっていう、どこかで希望が残る意識こそが
眩しかった。

もう一々最高なのに、そのじぃちゃんが、事故で寝たきりの娘を見舞うラスト。

「まちこは何処?」

何も終わってないし、何も変わっていない現実が急速に襲いかかり
だけど、長い時間をかけてイーブンにされる長い時間とやらも彼の上には既になく。
彼の悲しみだけが都会の夜に木霊するラストはもう積もるのは苦痛だけだ。

公園で、酒を浴び、孫を返してくれと泣き咽ぶ。

ああぁあぁぁ~・・・・彼には救いはないのかよ・・・。
なんたる後味の悪さ。なんたる余韻。なんという時の無常さなんだ。
老いて朽ちていく終末と奪われた悲しみの重さが相まって、そこに彼が若者に残した光が力強く
苛まれる虚しさと無力感は、こちらに残された最後の良心なのか。


橋爪さんの演技が、こういう事件の物悲しさを全身で表しているようで、最高だった。
このシーンを見た後では、模倣犯のひっくり返しも、かすかな希望も霞んでいく。
全てが終わって新しい未来が見える筈が、やっぱり人を殺した先にその先なんかないのだという
何とも辛酸な現実を突き付けた。
殺人犯を捕まえたって、被害者の傷は変わらないという理屈は
復讐なんかしても変わらないというメッセージでもあるだろうか。
これで良かったんだろうか・・・。

被害者に起こる二次的な被害の連鎖は、本当に終わったんだろうか。
そんな一点の染みを残して、幕を閉じる。

タイムリミットが来たかのように、平穏のために店を開け続けると言っていた彼が
闘病のために店を閉めるラストは、壊れた日常そのものだった。

ここに挟む言葉はもうないです・・・・圧倒的な悲痛に言葉なんかなかった・・・・。
これ見れただけで、もう充分だよ・・・。じぃちゃん・・!


一方。
警察の動きも、別荘を別路線から突き止めて鉢合わせるクダリは中々見物だった。
「もうお前にはうんざりだ・・・!」
犯人に投げかけた最後のこの台詞がまた逮捕の爽快感を加速させていた。
確かにな・・!と思ってちょっと吹いてしまった。

全体的に、警察の威信をかけてと言いつつ犯人にもメディアにも後手に回る感じが
日本警察の限界を皮肉に描いている。
滋子の雑誌の立場、テレビ局や世論の立場、警察の立場と三方向から攻めた後半は
それでも見応えがあり
そんな彼らを出し抜いて、一人公開処刑に立ち向かった滋子と共に派手な劇場型の舞台で迎えるクライマックスは
盛り上がった。
前半で諦めずに付き合い続けて心底良かったと思えた秀作である。

でも、どうせやるなら一矢報いてやれと送り出した豆腐屋のじぃちゃんに持っていかれたけどな・・・。
豆腐屋のじぃちゃんの最後の悲痛な叫びに全て持っていかれるんだけどな・・・。
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