Like Sugar&bitter chocolate  邦ドラマと映画の甘くてちょっとほろ苦い感想雑記。けっこなんでも飛び出すごちゃまぜブログです。お暇つぶしになれば幸い。ヾ(≧∇≦)
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2016*10*07(Fri)
映画「秘密-THE TOP SECRET」感想後半
様々な意味で意欲作ではあったと同時に非常に分かり難い映画でもあった。
観たものに個の記憶というものを知らしめてくるテーマ性はもっと強気に打ち出しても
良かったのではないだろうか。

他人の脳内映像を覗き見ることで捜査を進めるという奇抜なモチーフを引用し
独特の世界観を作り上げていることは他に類似性を見出さない。
個人情報保護法や特定秘密保護法など、世界もまた情報に関する価値を新たに付与しようと模索している中
問われる資質は大きいものだ。

秘匿される情報こそが当該映画の肝だが、誰もが抱える情報を様々な理由で隠匿してきた体質と
確実に隠せる筈だった情報を暴いていける姿勢は
現代社会の闇の中で決められ、流れていくそれと何ら変わりなく
そこから派生する禁忌的な自由度にこそ、この映画の狂いがあり
情報社会に於ける様々な課題をそれこそ自由度を以って提示出来た筈だった。

そんな思いがあればこそ、明確なテーマをしっかりと言い切るだけのしつこさみたいなものが欲しかった。
情報を扱う個と社会の意識格差など、抉り出せる盲点はもっとあからさまで良かったように思う。
主張として、本来なら知ることのない人間の情報を知ることが出来るようになった人間と
その後の社会に警笛を鳴らすものであらねばならなかったのではないだろうか。

ドラマの文法が社会派なのか人情派なのか。
ミステリーでないことだけは確かで、だからこそ観客に感じ取らせるだけでない演出が意味を成し得た筈なのに
暈すラストに多重の答えを委ねた希薄さは残念に思う。

それでも、人間の醜い部分や穢れた部分を惜しげなく晒し
生きていく人間の強さと理由、更にむしろ救いなど見せなかった潔いラストまで
徹底した一貫性は狭く熱く、手緩い温情茶番を見せられるよりは、私は楽しめた。


大枠については既記事で述べているため、ここではもう少し細かい所で感じたことを覚書。
(前回より更に問題発言なため秘密ファンの方は読まないことをおすすめします)


秘密 -トップ・シークレット- 2016年公開
監督/大友啓史 脚本/高橋泉、大友啓史、LEE SORK JUN、KIM SUN MEE
原作/清水玲子「秘密 -トップ・シークレット-」(白泉社)



原作既読。アニメ未視聴。
最後まで見てきました~。やーっぱどうしてもスクリーンで観たかった。
映画はスクリーンで見た方が・・・という感覚ではなく
この映画は衝撃を最大の切り札として使っているのは明白で
だったら多分、レンタルにしたら分かり難い意図が更に分からないだろうなと思ったからだ。

全体的な感想はほぼ一回めと同じなのですが、結末まで観た上で補足したいことを幾つか挙げる。


■外観の構造
何より特筆したいのは、映像と脚本とのコントラストだった。
やはり画面と音響の類を見ない派手さは圧倒的だ。良くも悪くも。
派手・・・いやもう、そんなレベルではない、乱暴すぎる。
とにかく粗暴で荒々しい映像の衝撃はかなりのインパクトを残す。

でもそれは必要である。
他人の記憶を見るのに、快楽や安寧などを与えては「秘密」の世界観が崩れてしまうからだ。
死んだ人の脳を覗いて事件を解決するという着想に、理想や夢を抱き惹きつけられたら不味い訳ですよね。
脳映像を見て、視聴者を含む全ての人間が、綺麗だとか美しいとか思わせるような作品だったら、失敗なのだ。
この映画が訴えようとしている秘匿の重さが不快指数で表わされる。
不快だホラーだと観客が騒ぐほどに、よりこの映画は完成度を高めているのだと思う。


ただ、そんな乱暴とも言える映像技術に比較して、脚本は最後まで至って控え目だ。
何もかもをさらりと流し、何が大事かも悟らせない素気なさで、最後も流動的に終わる。
タメを作らない、強調しない・・・など、必要以上に寡黙だった。
派手な色彩やツールに誤魔化され、見過ごしていく中で
物語における抑揚は全て映像の大胆さの裏に沈黙する。

その落差が奇妙なシンフォニーを作りだしていて、その分、映像が多弁になる。
そういう手法はあまり見たことがなかったので、中々興味深かった。


脚本ではなくカットで見せる手法は随所で見受けられ
特に私が面白いなと印象に残ったのは、真鍋と青木が即席タッグを組んだ辺りの説明だ。
絹子と関係があった少年との聴取シーン。
この時点での真鍋の立ち位置は、薪さんに脅され、まだ捜査に然程協力的ではなく
情報が出れば警察が動き出すと薪さんに言われ勇んで動いている青木との意識的な対比がある。
それを、いちいち台詞なんかや、くどくど陰険漫才などで繰り出すのではなく、カメラワークで補足する。

鏡に映るところからイン。
それが鏡だとは一見気付かなくて、そこには青木だけが少年と対峙。
そして左に移動して、それは鏡に映った青木の姿で、実はちゃんと真鍋もいると、映像が説明をする。
その一瞬の時間差が、二人の距離感であり、少年との距離感でもあって
へ~って思った。

あと、オチに使う犬を隠した真鍋の立ち位置とか。
交通事故現場で、青木が駆け付けた時、真鍋は先に到着していて、呆然と立ち尽くしている。
その時カメラはやや下よりの背後から入るけど、(車目線か)
そこでは盲導犬は真鍋の影に隠れて映らない。
最後の希望を、ここでは見せずに絶望させたのかと納得。

そういう細かな映像で伝える面白さみたいなものは割と感じられた作品だった。
その一環であろう、エンドロールで脳内映像撮影として出演者さんたちがスタッフにクレジットされてるのには
ウケました。


だが、惜しいかな、反比例的に、派手な映像に誤魔化され
繊細な意図はまた埋もれてもいき、効果は薄くなってしまっていたとも感じる。
つまり観客の心に、重要なポイントみたいなものが沁み難い。

例えば、金環日食が集団自殺のスイッチだったということに気付いた人はどれだけいただろうか。
ここは7人の少年が一斉に自殺を図るという、劇中で起こる最大の後日事件である。
でもそのインパクトすら、他の派手な音と映像の影になっている。

そもそも映像を差し込めば、アッと気付くかというと、そうでもなく
幻覚=真実でないものを見せてくる映画でもあるだけに、
数秒尺を割いたくらいで金環日食の意味など分かるものか。


「脳捜査はまだ法的証拠能力がない」とか「脳映像には幻覚も視覚情報として入る」などの
割と重要な解説台詞も、早口で、シーン半ばでさらさらと流されていく。
記憶に音や声がない不気味さ、真実と妄想の境界の曖昧さ。
つまりMRIが再現するのは個人の主観であり、必ずしも事実とは限らないということだ。
それがMRI捜査の最大の特徴であり、ツールとしての脆さと醍醐味であり
そこの面白さを強調しなくてどうすんのという消化不良があった。

そんな重要伏線を、そんな勢いで流されて
果たしてその設定をあの派手な映像連打の中、後半まで覚えていられた視聴者はどれくらいいただろうか。

そういう重要な部分は映像でさらりと流すのではなく
キャラクターに「▲▲なのか!」と強調させるとか、「××ってことなのよ」と復唱させるとか
何らかのストーリーにおける窪みみたいなものが欲しかった。
パーツの区切れもない感じで一気に見せる手法は勢いはあったけど、台風の中に呑み込まれたのと一緒で
最中の他のインパクトが薄い。


そこまでに衝撃的な映像に音響という、副産物が辛味な映画であった。
確かに女性視聴者にとっては、下品だとか野蛮だとか、目を背けたくなる品の無さは否定できない。
でも個人的にはそれが悪いとは思わない。
これは男性観衆や高齢向けを意識した作品作りになっているのだろうなと感じた。
およそ、原作読者であろう対象女性や若者の出鼻を挫き、一刀両断して見せたその意地の悪さは
どこか崇高な頑固さを感じて、個人的には好感触である。

二度見ても、登場キャラクターにフォーカスしない骨格も、やはり悪くなかったと思った。
シンプルに脳捜査という奇抜な設定が浮き上がっている。
死者の記憶を映像化して犯人を知れるという発想は実に類似性を見ない新鮮さだ。
死んでもなお語ることができるのだと勇む輩を正面から描く英雄像で、その理想を見出し
真実を暴く社会の困窮と、暴いた真実が必ずしも倖でない、残酷にも突き放す対比でその絶望を表現する。
構造としても、悪くなかった。

頑張って無謀にも稚拙にも疾走する主人公がラストに痛い目を見、未来を悲観する残酷さなんて
中々、現実を見る視点が冷淡で、好みである。

・・・・・ただ分かり難いっていうだけで。(そこが大問題)



■ストーリー
派手な映像に誤魔化され、こっちの脳が食傷気味になった頃、物語はいよいよ絹子と第九の闘いになる。

映画の主な粗筋――
露口一家殺人事件の犯人とされた男(父親)の死刑が執行され、その脳を第九が見ることになった。
行方不明のままの娘の絹子の居所を突き止めるためだ。
しかし父親は実は冤罪で真犯人こそが娘の絹子。父親は死ぬまで庇っていた。

死刑制度への不満も多い最中、死刑執行後にそんな冤罪がばれれば法務省としても権威を失うと
その情報は隠匿される。

もし、別件で絹子がまた犯罪を犯したら、その時は、まとめて裁けるかもしれない。
薪さんに助言され青木は当時の担当捜査官・真鍋と共に絹子を追い始める。
・・・・・という物語。


露口父が死ぬまで護った秘密。
法務省が威厳の自己防衛のために強要する秘密。
絹子が口を閉ざす秘密。
克洋くんが命を賭けて護ろうとした秘密。

秘密とはつまり人の裏側の闇であるというスタンスで、映画では至るところで秘密が溢れている。
そんな世界で、隠されたものを暴くというスタイルは一見、正義の顔をして存在しているのだが
そうやって暴いた末の結末と、暴き切れなかった秘密が
事実関係的にはラストに整合性を持たない。

持たない所が余韻だと言われてしまえば反論のしようがないし
必ずしもハッピィエンドを齎さないというのも面白い発想だし、難しいところである。


また、この世界では秘匿=悪というスタンスである一方
秘匿理由がどれも、誰かのためという泣けてくる人情だ。
その最たるものが、薪さんに隠された、貝沼の秘密=克洋くんが隠した秘密にあるのだろう。

しかし、そういう設定の重さは、通常、物語の中で
登場人物たちの思考回路や舞台の力みなどで深みを増していくが
とにかく脚本が抑揚が少なく薄味で攻めるので、あまりそこに切迫性も緊張感もない。

故に本当に重大なのか?という基本理念が視聴者に訴えかけてこないのが、勿体ない。
観客にとって意識して欲しい部分が何処なのかが明確でないので
折角の各々が抱える秘匿も、重さが足りない。

訴えて来ないのは、脚本の狙いがそこにないというのもあるかもしれないが
だったらどこなんだ。
何より、メインパートに重点を置くようなカメラワークだとか台詞だとか
そういう分かり易い構造にしていないんですよね。
だから派手な映像に皆隠されてしまう。

ドラマの文法が人情でないならその慎ましさは美徳だが
ミステリーという骨格は持っていないし、社会派という主張はしてこない。
所々主観でなければいけないところを客観的に見せてしまっているところもあり
幻覚という現象と相まって、客観事実が丁寧に繋がらない難易度は問題だろう。

登場キャラクターの心情のフィットするような脚本でもなく、事件性を追う骨格だから
余計そういうメンタル的な、或いは人間感情的な部分は、只でさえ希薄なのだ。


刑事モノというスタンスも、硬派な画面とは裏腹に稚拙である。
大体、一旦死刑が執行されれば、どんな事実が出ようとも
現行制度を否定するような情報を出すわけにはいかないことくらい
つまり、国と対立する訳にはいかないことくらい、分かりそうなものだが
第九VS国家という図式がまた、情報を巡る利権の違いを対立させてくる。

・・・ここ、どうせならもっと掘り下げてくれても面白かったのになと個人的には思っている。

個人情報は公益の前に塵とならないのか。
死者の脳を暴くことと、取り返しの効かない国家判断との課題は、同種であって
もっと重たく描けたと思う。
でも、ここでは情報を暴くことが正義。
その正義の努力が、最後に限界と罰――つまりは青木の負傷と絹子の逃げがちを見せるから
まあ、物語価値は相応なんだろう。

頑張った末にみんな手に入れられて、秘匿を暴くことが正義だなんて薄っぺらい着地点より
ずっとマシだ。



■クライマックスはどこか
脚本に於いて、どういうピラミッド構造を用いてプロットを立てているのか、そこが分かりづらい印象だったのも
勿体ない感じである。

まず、絹子を何の罪で捕まえられるかというメインプロットに付与されてくるのが
薪さんを病ませた貝沼はなぜ28人もの少年を殺したのか
克洋くんが頭を撃ってまで守りたかった秘密は何か・・・というサブプロットだ。

「私が死ぬまで分からないのよ」と逃れる絹子と、何か証拠をと求める警察の貪欲さの対比は
明確で、分かり易く、悪くない。
よくある刑事モノの王道である。

証拠は何も遺さない、絹子自身も記憶喪失だと嘯く中
只一つ、残る証拠は絹子の脳の中だという、「秘密」らしいもどかしさが用意された。

そのために薪さんが居るのね、という感じで、実は当該映画では薪さんは脇役である。
別に天才でもなければ、第九のリーダー的存在でもなかった。
むしろ、貝沼脳を見た唯一の生き残りという部分がフューチャーされているキャラで
ストーリーとしてのキーマンであり、そんな彼の脱皮の物語でもある。

彼の弱さや脆さを、正面から捕えるのではなく、欠点として諌めるような捕え方も
男社会目線だなと思え、面白い。

「薪さんは誰と戦っているんですか」

青木にそう責められるが、これは刑事らしい台詞だったと思った。そして新人らしい台詞でもある。
この映画が事件に偏向している以上、それは尤もな台詞であり、薪さんの弱さは卑怯でもある。
一番辛いのは捜査官ではなく事件被害者だからだ。
刑事である以上、自己防衛に走っていては欠陥であり、刑事の資格もないだろう。

誰かに言って貰いたかったこの台詞を青木がずばりと言ってくれたこの爽快感は、悪くない。


そんな彼が長年避けてきた記憶と対峙する。
一つの時代を終わらせようとする覚悟は高く、しかも、他刑事ドラマには無い一角ですよね。
この流れは一つの節目を描けていた。

そうして飛び込んだ未来に得られる代償もまた善悪素直な王道で
こういうところはしっくりとくる。

だが映画はここでクライマックスを迎えさせない。
確かに薪さんにフューチャーする作りでもないから、彼が成長を遂げたことに感情の揺らぎは薄いのだが。


事件を扱った映画なのなら、事件解決が頂点なのだろうが
そういう意味ではなく、事件におけるターニングポイントというか、着眼点というか
そういうものも汲み取らせてくれなかった。

結局、この映画の盛り上がりってどこなのという根本的なシンプルな疑問だけが延々と付き纏う。

例えば他にも、絹子を追っている最中に少年7人の一斉自殺が起きるが
これって、結構センセーショナルな事件だと思うんですよ。
なのに飛び降りてきた少年の図はかなり衝撃的なのだが(前記事で書いたかんじ)
その扱いはかなり杜撰で、あっさり流されるのが疑問だ。
簡単に言うと、劇中で、この事件の凄惨さは然程重要視されないというか、登場人物たちが然程驚かないというか。
(だから他の激辛映像に紛れてしまっているというか)


何もかもが淡々と流されていくのなら、そもそもベースが上がっただけで
この映画における重要性など何もないのと同じであるという錯覚に陥っていく。
・・・・物語とは、メリハリがあることで山と谷を認識するわけで
それがないのなら、観客はどこに焦点を置いたらよいのか、方向性を見失うものだ。

いや逆に、7人自殺のここを頂点としてこないのは、ここにも主眼点を置いていないと考えるべきか。




■克洋くんの記憶
となると、最大のメインディッシュは克洋くんの記憶ということになる。
確かにここは尺を大きく取り、さっきも言ったが、薪さんの成長という意味でも重要シーンだった。

それに伴う、恋人の脳を開く場面からしんどかった。
雪子さんの心中も痛く、皆の鋭い覚悟が波及していく、その緊迫感。
ここはほんと悪くない。

しかも、それまであれほど煩く騒ぎ立てていた音響が、ここにきていきなり止まる。
滑らかで棘の無いBGMに打って変わり、画面は穏やかな映像に切り替わった。
その演出効果も高く、こちらの感情は一気に解放へと向かわされ
なるほど、ここの高潔さを印象付けるためだったかと思えたほどだ。
克洋くん役の松坂桃李さんの演技も迫真で、ぶっちゃけ、かなり沁みた。

幻想と現実の間で、同じ想いを抱く二人に魅せられる。
お互い分かっていないだろうに、そして長い間誤解していただろうに
最期に残る期待は、相手への希望だった。
お互いの愛情が、そのまま悲劇へとスライドしていく運命の残酷さが惨く
翻弄された二人への無残な運命が、この信頼によって、反比例的に強調される。

そこで画面は克洋くんの脳内妄想から当時の回想シーンへと転換。

そこでは薪さんが必死にもう声も届かなくなった克洋くんを信じて必死に抱き留めている画。

くわあぁぁぁ~!!!
ちゃんとあの時、同じ時を感じていたんだなぁと、同じ温もりを与えあっていたんだなぁと実感でき
ぶっちゃけ、泣けた!!
花畑なんかで泣けたわけじゃない。理想語る二人に泣いたわけじゃない。
この、幻覚と現実の間で抱き合う二人の繋がらない、繋がっている想いにグッときた。

漫画ではしんみりきただけだったけど、ここは映像の迫力勝ちである。泣いた!!マジ泣いた!
裏切っても、届かなくなっても、命が終わっても
二人が時空を超えて想い合っている強さは、確かにこの酷い世界の中で唯一の安らぎが見える。
ただ一人が無償に受け容れてくれていれば、人は生きていける。

ベタベタな花畑だって、いっそホッとするというものだ。
感動というよりは、妙な解放感に脳が錯覚して涙腺を緩ませたというか、正にそんな感じであった。


・・・けどですね・・・!
その演出技巧は成功だから、せめてもっと立派な理由を用意して欲しかった・・・!

克洋くんが命を懸けてまで薪さんに見せたくなかった映像はあの程度のものなのか。
一般の人には、刑事である以上、理解しがたいものがある。
薪さんの覚悟が弱いのも反論出来ない。
刑事である以上、このくらいのリスクは想定内にしてほしいところである。

確かに貝沼の映像は、変な揺らぎとか平衡感覚を狂わせるような映像的作為もあって
見ていて気持ち悪くはあった。
でも、そんな抽象的な理由で視聴者は誤魔化されない。
浅すぎる秘密しか暴かれず、そんな秘密=映像でメンタル壊す刑事って・・・(泣)

こここそ、もっと暈して、内容は想像してくださいみたいなやり方も出来たのではないだろうか。
具体的に映像化してしまったことで、返って貝沼の特異性が薄らいだ気がする。
ってゆーか、ここに至るまで延々と見せ続けられた映像の方が余程病的だった。


また、そうして覚悟を決めた薪さんがいよいよMRIと繋がる・・・!
弱さを断ち切る男ってカッコイイ・・・!

うぃぃぃぃん。
「もう何時間?」
「五時間です」

長ぇな!そんなに長いのかよ!

ガタッ・・・。
「絹子と貝沼は繋がっていた・・・!」

それだけぇ!?

ええぇえぇぇ・・・???
いやいやいや。もうちょっと何かなかったんだろうか・・・。
このくらいの情報ならば、聞き込みで充分出てきそうである。

違う・・・何かが違う・・・。



■貝沼と絹子の違い
二人の接点もまた不可解だったし、貝沼と薪さんの接触もまた不自然だった。
そのことで、物語の重厚感が薄れてしまったのは否めず、ちょっと勿体ない。というか、非常に残念。

貝沼が財布を万引きしようとして、それを止め、警察には通報せず、札を渡した薪さん。
この罪を見逃したのなら薪さんが全面的に悪い気がしてくる。
そりゃ、普通にプライド傷つくわって感じだ。

手帳を見せておきながら通報しないって、何か心理的抑圧を与えてもいるようだし
ましてやお金渡すって、ちょっと個人の尊厳はどうなのか。
そうなると、貝沼が殺害を繰り返す理由が、ムカついた薪さんへの復讐とか嫌がらせに近いものになる。

施しを受けた貝沼の薪さんへの執着が、そういうありがちな逆恨みに成り下がっているため
そこまでして隠したかった秘密というものが描き切れなくなってしまっているのだ。
薪さんが無神経な人間で、それに対し、怒りを覚えた貝沼という図式では
恐怖もなければ、怨念・妄執といった、人間のどす黒い身勝手な感情が伝わらない。


ここは、薪さんが最後にMRIでこれを見ることを貝沼が想定しているのだから
つまり、薪さんの記憶に残ることだけのために殺人を繰り返す、歪んだ愛憎殺人であり
更に、同性への異常な執着はやがて薪さん自身への強姦だの殺人だのへの破壊飛躍も含めた危険認識だからこそ
克洋くんが危機意識を持った、という風にしないと、死にきれないでしょ、克洋くん・・・。

貝沼は薪さんを性差を越えて同性愛みたいな状況である部分まで組み込むと
LGBTというデリケートな部分も含み、映画では重荷だと考えられる。
だが、歪んだ愛情というものは他に幾らでもあるだろう。

そういう貝沼の歪んだ執着に不気味さと危険さを出させることで
そこが、絹子のサイコパスとの違いと成り得る最大の根拠であり、秘密の邪悪さでもあるのに
そういう違いがあまり伝わってはこない。
貝沼と絹子を同じファクターとしてしまったように感じさせる演出は、少々迫力不足だった。

事件に特化した構造にしているのだから、ここは最大の根拠であった筈である。
せめてここは力を入れて描き切って欲しかった。


・・・・・・でも、克洋くんの想いがピュアで
この世に希望なんかないなんて思っている薪さんがそれを見て
自分に希望を抱いて死んでいった克洋くんの希望を得る。
パンドラの箱の最後に美しいものを残す、その贈り物はこの酷い世界の中で確かに癒しであり
そこに泣けたので、まあ、いいや。



■真鍋の必要性
薪さんが過去に決着を付けている頃。
薪さんに脅され、過去の事件のけじめを付け始めた真鍋。
映画の基本プロットが、各々が未来に立ちあがっていく構図になっていることに気付く。
そこに潜ませる秘匿という概念が齎す「希望」は確かに映画の最大の軸である。

ところが、絹子の徹底したサイコパスに打つ手がなく、真鍋の方が次第に追い込まれていく。
真鍋には希望がない。自らの罪の意識(被害者宅で万引きしていた)も加速させ
暴走した正義というよりは真鍋の心の弱さが、彼を病ませていく。

そしてついに、痺れを切らした彼は、暴挙に出た。

絹子宅へ押し入り、脅し同然の振る舞い。
あれよあれよという間に、真鍋は犯罪一歩手前へ。
そして、昔の刑事ドラマさながらに、銃撃戦で死亡。
・・・・・・・・・・・うわあ。

かなりここは目玉飛び出た。
あんなに煩かったのに、こう来たか。

画面はどしゃぶりの雨にも関わらず、何故か彼の存在が消えたことでしんと鎮まり返ったような空虚を醸し出す。

そこで思った。
真鍋は「善意と悪意」「醜さと美しさ」そういう対比を体現させていた存在であり
その上で、秘密の世界観らしく、「あちら側」に落ちた人間として、真鍋が必要だったのではないか。

勿論、真鍋は直接貝沼脳を見ていない。
だが総合的なMRI捜査に於ける難易度の高さは下地として存在していた。
要は、MRI捜査に於ける他人の脳への侵蝕、あちら側へ引き込まれる人間の存在というものを
監督は存在させたかったのではないだろうか。

そう考えると、劇中、何度か雪子さんが口にする「あちら側へ行ってしまうんじゃないか」という危険性が
非常にリアルになる。
彼女が何を警戒し、どう懸念していたのか、それが具現化された瞬間だったのではという気がした。

人の脳を見るリスクは、相手の思考に呑み込まれるリスクである。
真鍋が絹子と関わり、のめり込んでいく内に、自らの脆弱性を暴走させ、落ちていった。
それは正に、MRI捜査で一番危惧していたことであり
それがひとつ、描かれたことで、映画の均等が保たれたような気がした。



■絹子の必要性
美人ではないが男を虜にする少女として、最後まで見れば確かに絹子は適役だと思えた。
女性目線で、なんであの女が?と思わせた時点で、役者さんは成功だ。

そもそも絹子の立ち位置って、「他人の脳を覗き見るなんて最低」「死神!」という
見られる側の生者の代弁者な訳である。
死んだ後に覗き見られる冒涜や守秘義務などの隠避を訴える位置付けであり
国家が存在確立と安定社会のために行う情報隠蔽という巨大正義のミニマムな部分である。
元々葛藤を抱えている第九の傷を暴き、お前らがやっているのはこういうことだと突きつける
所謂テーマを浮き彫りにする役割を担っていた。

彼女の台詞はただの罪逃れのための詭弁ではない。
情報を扱うリスクとして論理性のある存在だった。

しかし、物語構造が、そもそも最初から罪を暴く青木側を正義として描いてきているから
どうもその大事なメッセージが空転しているのだ。

絹子の台詞を際立たせるためには、秘匿を美徳とした下地が予め必要なのである。
死んだ後に、他人のプライベートを覗かれ、トイレまで大勢に視姦される、というダークな部分。
そういう部分が非常に弱いのは、青木目線で基本隠ぺい=罪としているからであり
絹子の台詞が単なる言い逃れの域を出ていない。

このテーマとしての弱さ、非常に勿体なかった。

その議論こそが、MRI捜査の抱える矛盾でありリスクであり
ひいては情報に対する社会議論に広がる。
薪さんと絹子がプールサイドで対峙した時などは、もっと踏み込んだ議論を絹子にはしてもらいたかった。
「おぞましいのはどちらか」ということを、もっと分かり易い言葉で知らしめて欲しかったなと思う。


そこは残念だったのだが、薪さんとの秘密を抱えた対比としての意味は面白かった。

「私は生きなきゃならないの。私を護ってくれた父のために」

直前、克洋くんの記憶を見て、その結論に至った薪さんと同じ気持ちを
今度は絹子に言わせる。
こうまで異なるシチュエーションで持ってくる。
つい先ほどまで薪さんは絹子の立場であった。
その皮肉も、鮮烈だ。
ここはニヤリとさせられた。っていうか、ここが私の頂点で、かなりゾクリとした。
突き付ける重さが比じゃない。

中々に面白い命題である。
そもそも最初から皆が抱える秘密は誰もが誰かを想っているものであって
それゆえに秘匿してきた。
そうすることで繋いできたとも言える。

そう言えば、人は人と関わることで生きていくものであり
暴く秘密は誰かの記憶であるのだ。
その記憶の上で、遺された者は生きていく。

記憶を冒涜するリスクを突き付けた原作とは異なり、映画は人の生きる糧へと変化させた。
秘匿という概念が齎す「希望」は映画の最大の軸である。
そしてその希望は、花畑でも最後に見せる人間なんかでもない。
誰かにとって隠された想いこそが誰かにとっての生きる糧なのだと本作は言う。

そういえば中盤、オリキャラで精神科医が出てきた。
絹子へ薪さんの情報を与える存在なので、絹子にとっては意味あるキャラクターだが
多くが精神を病んでいる設定だから世界観の一角ではある。
その彼の言う台詞で、「必死に生きようと足掻く人間の何が悪い」みたいな極論があったが
正に、野生味溢れるその奮闘が、生へのがめつさを感じさせていた。

拡大解釈すれば、国家が抱える秘匿もまた
その国家価値の一番底辺の部分に根付くものが、個人の日常の記憶であるとも言える。
解釈の違いは面白いと思った。


・・・・・・ときたら、絹子、生きようよ・・・。

海外逃亡したんじゃなかったのかよ。何故炎上。
ここは空港に警備を配置して・・・空撮でパトカーの赤いランプかなんかを夕暮れに点灯させ
雰囲気でフェードアウト・・・・・でも良かったのでは。逮捕の瞬間は描かなくても良いから。

秘密を持ったまま、死んでいった絹子。
脳が焼けるから、当然彼女の真意はもう誰にも暴けない。

結果これで解決したと思えない終焉になっていたことからして、ミステリーを見せたかった訳ではないことも
ここで分かる。
絹子には他人に知られたくない秘密があった。
それで引っ張ったのにそれを分からせないから、ミステリーとしては破綻する。

だが、脳情報捜査を取り入れたミステリーをやりたいだけなら、動機や背後関係の掘り下げが必要だが
この映画が描いたものが秘密=記憶と向き合う覚悟なのだとしたら
まあ、暈すラストもあり・・・・なんですか、どうなんですか。

情報を扱う社会としての何らかの解答、警笛みたいな主張は欲しかったと私は思った。
ここで絹子が情報を秘匿したまま美しく死んでいったことで、情報の個人主義讃歌と捉えられる一方
個人の暴走が結局は事件を社会をとん挫させてしまう。

情報の秘匿というテーマに沿い、何を訴えたかったのか。
多重の解釈を残す絹子の自殺は、一見観客に委ねているようでもあり
でも、逃げただけのようにしか見えない。何らかの製作者の主張が欲しい。



■記憶の美化
絹子の秘密は封じたまま終わる。
絹子にも美しいものはあったと匂わせたのか。

ラストは、絹子を追い詰める最後のほつれが、盲導犬の見た絹子の犯行だった。
絹子は人間の視野は警戒していたが、犬までは無頓着だったという盲点。
その犬をMRIに掛けることで、動機は分からずとも、絹子が犯人であることは証明された。
(このMRI・・・・誰が繋がったんだろう・・・犬とリンク・・・・)


全体的に陰惨な話で進められてきた映画であり、また衝撃的な映像の世界なので
ラストに救いを見せるこの工夫が非常に薄っぺらく映る。
これだけ陰惨な刺激を与え続け、あんなもので救われて堪るものか。

・・と、謎のまま終わって、最後を犬の記憶で締めたことは、かなり安直だと思ったが
人間ではなく犬が見た世界に素朴な日常が映っていたという世界の美しさが、皮肉でもあり
社会に対する悲観的な視点が伺える。

また前半余るほど費やされた負荷の高いシーンの反動で
視聴者の心の救いの不足分が、飢餓状態となり、返って安らかに見えてしまうから不思議だ。

一瞬、犬というよりは愛されている誰かの視点という意味だったのかな?とも思ったが
そこまでピュアにしたらあの前半が台無しになるので、やはり人間社会に遺された救いはないと私は解釈したい。
正確には、人間の周りにも沢山の美しいものがあるけど人間の眼には映らないのだろうと。
そうでなければここまで積み上げてきた本作のテイストが台無しになる。
少なくともあれは、幸福の象徴ではなく、異世界の象徴なのだと思った。


でも、そもそも、盲導犬という主旨なら、人間側のあの対応はあり得ない。構っちゃダメだろうて(笑)
普通に空とか花とかで良かった。



■青木
全力で投資して、全否定された青木は負傷し、でもなんとか一命を取り留める。
駆け出しの若い刑事が正義のままに奔走するしっぺ返しや社会の手痛い洗礼を受けたラストが
実はとても気に入っている。

青木は一旦そこから逃げるが、きっと戻ってくるのだろうな。
そうして社会人は一人前になっていくのだ。


誰にでも齎される優しい記憶が救いになるラストは、人の繋がりの純潔を匂わせ
ピュアなラストであった。
薪さんには克洋くんが。
青木にはこの犬の視点が。
絹子にもきっと家族の何かが。

思えば、恋人だったのに最後に回想もしてもらえてなかった雪子さんが一番貧乏くじだったかもしれない。
でも、薪さんが無事で、良かったねって思える。

・・・実は前記事でも書いたが、青木のこの青臭い感じと熱血な感じ。
原作の青木よりしっかり者に成長しそうで、好感度は高い。


そもそも個人にフューチャーした構造になっていない映画だからこそ
キャラクター描写が一切省かれ、その意味では誰にも感情移入できない造りとなっていた。
そこに主眼点がない映画だからそれはそれで構わないのだが
それでも、泥臭く戦っている男・・・かっこいいじゃないか。
事件に青臭く正義を募らせ、自滅していく者、堪える者、答えを見つける者。
人生が切り取られていて、必死さは伝わった。



■エンディング
そこに流れてくるSiaの「Alive」がまた不快である。
いやもうこれ、もっと他に何かあっただろうに、このチョイスである。

ここまで激烈な世界観をハードに見せられ、ようやく音響も治まり、怒声もなくなり
刺激的な映像も消える。
犬の目線で柔らかな陽の当たる映像にホッとしたのも束の間
この曲でまたあのハードな世界に戻される、この苦痛。

ハスキーに神経をピリピリと刺激してくるんですよ、ホント精神に障る。
エレキギターできゅいいぃぃんってやっているのに近い。しかも長いサビ。

犬の世界観の効果は台無しでした。
その分、人間の汚さや黒さは舞い戻ってきたと思う。
結局、監督が描きたかったのも、救いではなく
やはりそういう激烈な社会の刺激、社会の切り口なのだろうと推察される。

原作においては派手な設定よりも
丁寧で繊細な人間ドラマが捜査の過程で絡まることで多種の感動をもたらすのだが
それだけでは原作の本当の太さは理解していない。
脳捜査で暴かれる辛酸さもまた、原作者の訴えたい『秘密』の大事な骨格である。
キャラクター同士の安易な慣れ合いと擁護の裏で、その骨組みは相当熟考された本格指向である。

清水玲子先生の美麗イラストのままに、先生の描く世界観は綺麗で優しいものだという観念も
少々違うと思う。

その意味で、シンプルに事件を取り上げた切り口は多大に評価したい。
原作者さんが扱う人間の重さと
いっそ原作者さんさえ気付いていないかもしれない扱う世界の深部をこれでもかと映像化してみせた潔さは
徹底した漢気溢れるもので
見事に闇部を抉り出した本作品は私には充分秘密ワールドを堪能させてもらったという印象だった。



感想前半がコチラ

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二度目観賞。地元での公開は深夜枠なので、都心の映画館まで遊びに行きました。
実はパジャマに羽織りもの程度で行けちゃう距離に映画館があるのだ。地元。
でもたまに別の映画館に行くっていうのも、新鮮で楽しいな。

客層は年配者やカップルが多かった印象でした。
今度は映画の日ではなかったためか、女子高生などはいなく、どちらかというと年配女性や老夫婦が多め。
年齢層高いのも面白いと思いました。

例えば原作信者ならばおよそ若い女性層で占められそうなところ、この客層である。

でも、60代ごろと思しき年配女性二人組・・・。
一体何に惹かれてこの映画チョイスなのか・・・。単なる映画ファンか・・・。


観賞後、男性二人組が、「絹子すごかったね・・・」「うんなんかすごかった・・・」と話しているのが
小耳に聞こえ、印象的でした。
そうか、男性目線だとやはり絹子か。

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