Like Sugar&bitter chocolate  邦ドラマと漫画の甘くてちょっとほろ苦い感想雑記。けっこなんでも飛び出すごちゃまぜブログです。お暇つぶしになれば幸い。ヾ(≧∇≦)
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2017*01*15(Sun)
劇場版HERO 2015 感想
松たか子が異常にかわいい・・・!なんかもうそれだけの映画である。
眼鏡女子!似合う~。フェイスラインだろうか。ショートだからか。とにかく可愛かった。

年末に地上波初登場!HERO2015。ようやく観ました~!
一言で言えば面白かったです。

天井から映す独特のカメラカットとか久しぶりに見ると斬新だったし音楽は盛り上がるし
テレビで観る分には充分なクオリティだった。
外交の難しさをテーマに据えているが、そこは肩透かしで終わるのだが
それでも大使館は国内にあれど外国であり、治外法権であって
法律が効かない中で事件が起きたらもうどうしようもないのか?というある意味巨大な壁が徐々に砕かれていく感じも
悪くなかった。


HERO2015
ドラマ『HERO』の映画版第2作。2015年度作品。興行収入46.7億円
監督/鈴木雅之 脚本/福田靖 主演/木村拓哉



コンパニオンの女性が、ネウストリア公国大使館裏の路上で交通事故に遭い死亡。
交通事故死となった女性は靴を履いていなかった。
その謎も、また雨宮が扱う薬物事件の証人でもあった彼女の素性も
全てネウストリア公国の大使館に繋がりがあることを知る。

大使館には日本の司法が及ばない治外法権があることから捜査は一向に進まない。
何があったかも話してもらえることはなく
核心部分が疑惑に染まっても
彼らが同胞を売る訳ないという同族意識があからさまで、国境以上の壁が立ちはだかる。
捜査は国境を超えることができるのか。

・・・・というような事件物のお話。


ありきたりな外交特権関連事件で、他ドラマや小説などでも良く扱われるテーマであり
私自身見掛けたこともあるくらいのネタレベルで新鮮味は無い。

それでも面白いと思わせられるのは、徐々に大使館関係者の疑惑が強まっていく事件調の部分と
それを突っぱねる彼らへの、様々な角度からアプローチしていく久利生さんの発想が
テンポ良く描かれるからかもしれない。

徐々に協力体制に入っていく支部のお決まりの職業精神も
各々に割り振られた役目の完遂と合わせて、まるでピラミッドの頂点に行き着くような脚本は
そこそこ爽快感があった。

そこに合わせて検察庁難波支部から同じ事件を追って雨宮が参戦し
昔の関係の危うさな空気感を持たせながら興味をそそってくるやり方も、ニヤニヤしてしまうやり取り。
プロットは悪くなかったです。


第二期に入ってから意味なくくだらないギャグに走る流れは辟易していたが
久しぶりだからか、テレビより抑えられていたからか
まあ、早送りしたくはなったけど、付き合えた。面白くないな~相変わらず。

そのノリで、事務官とのコンビで独自に調べていくクダリへコミカルに突入していくスムーズさが
ナチュラルだったのが幸いした。

特にデート風にした吉田羊さん演じる馬場さんコンビは上手かった。
尾行して、ベンチに座っていちゃいちゃしたり、しょうもないばかっぷるな会話をしてみたりと
そういうノリがそぐう感じで乗っていたと思った。

鞄のすり替えに気付き、テレビカメラに気付き、そしてそれが、警備員アイドルのお天気コーナーという繋がりも
小気味良いリンクである。


暴走トラックの辺りは逆にウザい感じ。
ちょっと前作を彷彿とさせるし、バタバタしすぎ。
また、2001年宇宙の旅の意味のないパロディも、スローにしすぎ。
そんなにまったりと描くほど面白いシーンではない。

そして!
アップテンポで進む中で何より一番気持ち悪いのが
とにかく食事しすぎ。
食べ過ぎだろ、おまえら。

カットが変わる度に、食事、食事、食事。
もうそれしかやることないのかっていうくらい、食事シーン。
今回の重要アイテムがソーセージであるから、余計に脂っぽく感じさせてくる。
ソーセージを浮き立たせるためにも、食事シーンは極力控えた方が良かったと思う。

脳なしというか、他にアイディアが出なかった場繋ぎのように食事ばかりしていて
全体的な濃密さがまるでないのが難点なのだ。
スクリーンで観たいからには、勿論内容の濃いしっかりとした物語・・・とは思うけど
昨今の映画事情でそこまで求めるのは高望だろう。
だからこそ演者の色んな顔や色んな格好やら、色んな言葉を拝んで目の保養にしたいのに
食べてばっか。

これじゃスクリーンで観たって残念な気持ちにもなりそうだ。



さて。
実際の物語といえば。

支部内部を天井から映す独特のカメラカットとか、役者を左右で同じ動きをさせるとか
やたらカメラ目線で台詞を言わせる流れとか
面白い部分と萎える部分半々で引っ張られ、目を引かれていくうちに
物語中盤、ようやく大使館の門が開く。

前半絶対に開かなかった大山として映した同じカット、同じ構図、同じ役者で
もう一度映したその扉が開くシーンは流石に迫力的である。

映像としては申し分ないのだが
いかんせん、そこに辿り着くまでの脚本がどうにも中途半端で・・・深く考えていると疑問符に埋もれるから
単純に上っ面を追っていた方が良い。


ネウストリア公国公使がヤクザと癒着して違法薬物を流していたというのが今回の事件の真相。
1人の女性の交通事故死の裏にあった悪であり、そこへ辿り着くまでの奮闘を描いた物語である。

事件の背景が、簡単な「たかが交通事故」から大物を引き上げる展開は王道で
そういうプロットはいいのだが
遺族や事故を起こした人の家族も出てこないので、被害者に何も感情移入できないまま、話は進む。
また、そもそもの今回の加害者である男性心理についても、ほぼ触れられない。
だから事件の根幹が加害者のための仕事というより
検事ための仕事という側面が誇張され、非常に利己的な主体性を感じ取らせてしまう。

雨宮が他の仕事があると大阪に戻ると言い出すシーンも
まるで一つの事件を放って逃げ出すかのような演出で
確かに狙いはそこなのだろうが、だとしたら素材が違うだろうという違和感が残るのだ。

他の検事もそうだが、仕事は一つしか受けない訳ではないだろう。
他の仕事も疎かにしないという行動規範を、まるで怠け者のように描写する。

そう見えてしまうのは
久利生さんに同時案件が存在していないことと
該当事件の主眼点の希薄さがあるからだと考える。

その辺の矛盾を映画は巧妙に暈しているけど、でも仕事への執念という意味では
失敗していたと思った。
だって、他の仕事もちゃんとするって褒められるべきことじゃん。
久利生さんだけ他の案件がないのは不公平じゃん。
それで、否定されてもね。

勿論それは、小さな事件にも一人の命が失われていて
その重大さに気付けという作品を通しての元々の基盤があるということは分かっているが
それにしたって、そこらへんの踏襲が弱い。

観衆の推量に甘えている感じだから、危機感が感じ取れないのだ。
コアなファンには通じているのかもしれないが、これは映画であって、金を取るのだからそれでは不十分である。
多少しつこくとも、もう一度、その基本を繰り返すくらいの誠意と熱意が欲しかった。


同様に、何故ここまでして彼らのために動くのかという動機は理解できても
その根源となる熱が弱い。
主人公の信念が内向きベクトルに乗っているだけで、観客は置いてけぼりのまま進行していく。

いっそ、中盤で久利生さんがトラック襲撃に合うが
ここで、命を狙われる程の切迫感みたいなものを煽ってくれば、まだ攻防戦としては見応えがあった。
瀕死の重傷を負って、でも立ち上がる。
そこに憤慨した支部メンバーもまた、団結する。
悪には屈しない・・・!

・・・みたいな流れとか。

或いは、ここで麻木が雨宮に電話を入れるがその行為の意味を掘り下げて
誰にとって大切な人なのか、自分にとってどう大切なのかを
二人の女の角度から掘り出させるように描くのであれば、まだ事件としては中途半端でも見応えあっただろうに。


なんかドラマ性が薄味なんである。
前作がしっかりと角を付いてくる出来栄えだったから余計期待値が上がっていたんだろうか。

ラスト、大使館に唯一出入り出来る人物、それは外務省の人間である。
外務省欧州局長の松葉役で、佐藤浩市さん。

彼の立ち位置や、キャスティングは良かった。
この人がいたおかげで、大使館の壁の厚さとか、真っ直ぐなコンタクトというものが
とてもクリアに描き出され、その比較として久利生さんの捩じれや歪みが良く浮き立って印象付けられた。

だからこそ、彼の存在を、「じゃあ、彼らが一日何本ソーセージ食べるか知ってますか?」
なんて台詞で甲乙付けないで欲しかったなぁ。
どちらのやり方も正しい、だけど正規の方法じゃ扉は開かない、そんな物語にしてほしかったです。


そんな松葉さんを説得するラストシーン。

ここの久利生さんの台詞が浅くて子供ぽいのが、物語の総合力を下げてしまっていた。
でも元々そんな深入りした物語じゃないから、子供には理解しづらいのかもしれない。
この辺りが落とし所か。
ただ、国境は越えられないけど、まず合って話合って
拒絶されてもいい、否定されてもいい、まずはそこからだっていう結論は、少し気に入った。

「でもいいんですよ嘘吐かれたって。騙されたっていいんです。
 結局、分かり合えなかった、それでもいんです。俺はちゃんと会って目見て話したいんです。
 そっからじゃないですかね?何かが始まるのは」

きっと駄目だと確かめて、そこからまた久利生さんなら何か考え出すんだろうなという未来が見える。
話せば分かるという安直な結論で締められたら投げてたところだ。


合わせて田村検事が大声で演説するシーンはちょっとみっともない。
大人なのに公的な場で大声でまくしたてて。
このドラマのこういう所が嫌。
もっと他に演技で魅せる方法は幾らでもあると思う。


で、一つの事件がまた幕を閉じる。
後味は悪くないし、松葉さんも変化球の功績か、交渉成立したようだし、良かったのではないかと。
そう考えると、気持ち良く観終えられたのではないかと考える。


久利生さんと雨宮の恋の結末。
まあ、8年も待たせた男に言える言葉なんて在る筈ないだろう。
でも、これは結構キツいラストでした。

つまり久利生さん的にはもう雨宮に恋はしていないという風に捕えて問題ないと。

だからこそ雨宮も好きな気持ちはそのまま、「大好きだったの」と過去形なのだと思った。

雨宮は駄目男と知りつつ、でもそんな彼と出会って、そんな彼に惹かれ、周りもそんな彼に憧れるということを
間近で見てきた。そんな風に自分もなりたいと思い、未来を貰い。
そして今歩き出す。

結婚も恋も全部なげうってでも使命に燃える彼みたいになりたいのだから、それは自己責任だ。
分からなくはない。
そんな全身全霊で挑む生き方を彼は選んで、彼女も目指すのだから。

・・・・けど、だからこそ、代償として恋は捨てていくってことですよね。
キスまでしておいて何も言わないっていうのは冷めたってことですから。
逆にここまでして、久利生さんに恋心が、未練が残っていたという設定なら、蹴り入れるぞ。
三十路越え男のすることじゃない。

解放してやったと解釈するのが、一番自然なのではないかと。
でもそうなると、ドラマでは大体ハッピィエンドで終わる日本ラブストーリーとしては
かなり斬新な結末となりますけどね。まあ、それも大人味。

ただ不満があるとするなら。北川景子の影が薄いじゃないか。
二期ヒロインだった筈の役者を活かし切れていなかった印象が残る。
彼女を恋敵とするには役不足だから、どう見ても仕事上の久利生さんのネクストパートナーでしかない。

作中でも「雨宮と比べるな」とか「今のパートナーはお前なんだから」などなど
麻木の自信と集中を高めるような助言が多々見られた。
つまりは今度は彼女を一人前に育て上げることが久利生の目的であり
そうなると、構造的に、一体この映画での彼女たちのポジションってなんだったんだ・・・?と。

比較させるだけの技量でもないのに共演させた意図が曖昧だし
敗北感や挫折感を味わわせるだけの麻木よりのストーリーではなかったし
雨宮よりの話になるんなら、雨宮の中で何らかの麻木に対する感情が必要な訳で
その辺の描写が尽く残念。

もっと繊細な心理描写がないとと感じた。
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2016*10*07(Fri)
映画「秘密-THE TOP SECRET」感想後半
様々な意味で意欲作ではあったと同時に非常に分かり難い映画でもあった。
観たものに個の記憶というものを知らしめてくるテーマ性はもっと強気に打ち出しても
良かったのではないだろうか。

他人の脳内映像を覗き見ることで捜査を進めるという奇抜なモチーフを引用し
独特の世界観を作り上げていることは他に類似性を見出さない。
個人情報保護法や特定秘密保護法など、世界もまた情報に関する価値を新たに付与しようと模索している中
問われる資質は大きいものだ。

秘匿される情報こそが当該映画の肝だが、誰もが抱える情報を様々な理由で隠匿してきた体質と
確実に隠せる筈だった情報を暴いていける姿勢は
現代社会の闇の中で決められ、流れていくそれと何ら変わりなく
そこから派生する禁忌的な自由度にこそ、この映画の狂いがあり
情報社会に於ける様々な課題をそれこそ自由度を以って提示出来た筈だった。

そんな思いがあればこそ、明確なテーマをしっかりと言い切るだけのしつこさみたいなものが欲しかった。
情報を扱う個と社会の意識格差など、抉り出せる盲点はもっとあからさまで良かったように思う。
主張として、本来なら知ることのない人間の情報を知ることが出来るようになった人間と
その後の社会に警笛を鳴らすものであらねばならなかったのではないだろうか。

ドラマの文法が社会派なのか人情派なのか。
ミステリーでないことだけは確かで、だからこそ観客に感じ取らせるだけでない演出が意味を成し得た筈なのに
暈すラストに多重の答えを委ねた希薄さは残念に思う。

それでも、人間の醜い部分や穢れた部分を惜しげなく晒し
生きていく人間の強さと理由、更にむしろ救いなど見せなかった潔いラストまで
徹底した一貫性は狭く熱く、手緩い温情茶番を見せられるよりは、私は楽しめた。


大枠については既記事で述べているため、ここではもう少し細かい所で感じたことを覚書。
(前回より更に問題発言なため秘密ファンの方は読まないことをおすすめします)


秘密 -トップ・シークレット- 2016年公開
監督/大友啓史 脚本/高橋泉、大友啓史、LEE SORK JUN、KIM SUN MEE
原作/清水玲子「秘密 -トップ・シークレット-」(白泉社)



原作既読。アニメ未視聴。
最後まで見てきました~。やーっぱどうしてもスクリーンで観たかった。
映画はスクリーンで見た方が・・・という感覚ではなく
この映画は衝撃を最大の切り札として使っているのは明白で
だったら多分、レンタルにしたら分かり難い意図が更に分からないだろうなと思ったからだ。

全体的な感想はほぼ一回めと同じなのですが、結末まで観た上で補足したいことを幾つか挙げる。


■外観の構造
何より特筆したいのは、映像と脚本とのコントラストだった。
やはり画面と音響の類を見ない派手さは圧倒的だ。良くも悪くも。
派手・・・いやもう、そんなレベルではない、乱暴すぎる。
とにかく粗暴で荒々しい映像の衝撃はかなりのインパクトを残す。

でもそれは必要である。
他人の記憶を見るのに、快楽や安寧などを与えては「秘密」の世界観が崩れてしまうからだ。
死んだ人の脳を覗いて事件を解決するという着想に、理想や夢を抱き惹きつけられたら不味い訳ですよね。
脳映像を見て、視聴者を含む全ての人間が、綺麗だとか美しいとか思わせるような作品だったら、失敗なのだ。
この映画が訴えようとしている秘匿の重さが不快指数で表わされる。
不快だホラーだと観客が騒ぐほどに、よりこの映画は完成度を高めているのだと思う。


ただ、そんな乱暴とも言える映像技術に比較して、脚本は最後まで至って控え目だ。
何もかもをさらりと流し、何が大事かも悟らせない素気なさで、最後も流動的に終わる。
タメを作らない、強調しない・・・など、必要以上に寡黙だった。
派手な色彩やツールに誤魔化され、見過ごしていく中で
物語における抑揚は全て映像の大胆さの裏に沈黙する。

その落差が奇妙なシンフォニーを作りだしていて、その分、映像が多弁になる。
そういう手法はあまり見たことがなかったので、中々興味深かった。


脚本ではなくカットで見せる手法は随所で見受けられ
特に私が面白いなと印象に残ったのは、真鍋と青木が即席タッグを組んだ辺りの説明だ。
絹子と関係があった少年との聴取シーン。
この時点での真鍋の立ち位置は、薪さんに脅され、まだ捜査に然程協力的ではなく
情報が出れば警察が動き出すと薪さんに言われ勇んで動いている青木との意識的な対比がある。
それを、いちいち台詞なんかや、くどくど陰険漫才などで繰り出すのではなく、カメラワークで補足する。

鏡に映るところからイン。
それが鏡だとは一見気付かなくて、そこには青木だけが少年と対峙。
そして左に移動して、それは鏡に映った青木の姿で、実はちゃんと真鍋もいると、映像が説明をする。
その一瞬の時間差が、二人の距離感であり、少年との距離感でもあって
へ~って思った。

あと、オチに使う犬を隠した真鍋の立ち位置とか。
交通事故現場で、青木が駆け付けた時、真鍋は先に到着していて、呆然と立ち尽くしている。
その時カメラはやや下よりの背後から入るけど、(車目線か)
そこでは盲導犬は真鍋の影に隠れて映らない。
最後の希望を、ここでは見せずに絶望させたのかと納得。

そういう細かな映像で伝える面白さみたいなものは割と感じられた作品だった。
その一環であろう、エンドロールで脳内映像撮影として出演者さんたちがスタッフにクレジットされてるのには
ウケました。


だが、惜しいかな、反比例的に、派手な映像に誤魔化され
繊細な意図はまた埋もれてもいき、効果は薄くなってしまっていたとも感じる。
つまり観客の心に、重要なポイントみたいなものが沁み難い。

例えば、金環日食が集団自殺のスイッチだったということに気付いた人はどれだけいただろうか。
ここは7人の少年が一斉に自殺を図るという、劇中で起こる最大の後日事件である。
でもそのインパクトすら、他の派手な音と映像の影になっている。

そもそも映像を差し込めば、アッと気付くかというと、そうでもなく
幻覚=真実でないものを見せてくる映画でもあるだけに、
数秒尺を割いたくらいで金環日食の意味など分かるものか。


「脳捜査はまだ法的証拠能力がない」とか「脳映像には幻覚も視覚情報として入る」などの
割と重要な解説台詞も、早口で、シーン半ばでさらさらと流されていく。
記憶に音や声がない不気味さ、真実と妄想の境界の曖昧さ。
つまりMRIが再現するのは個人の主観であり、必ずしも事実とは限らないということだ。
それがMRI捜査の最大の特徴であり、ツールとしての脆さと醍醐味であり
そこの面白さを強調しなくてどうすんのという消化不良があった。

そんな重要伏線を、そんな勢いで流されて
果たしてその設定をあの派手な映像連打の中、後半まで覚えていられた視聴者はどれくらいいただろうか。

そういう重要な部分は映像でさらりと流すのではなく
キャラクターに「▲▲なのか!」と強調させるとか、「××ってことなのよ」と復唱させるとか
何らかのストーリーにおける窪みみたいなものが欲しかった。
パーツの区切れもない感じで一気に見せる手法は勢いはあったけど、台風の中に呑み込まれたのと一緒で
最中の他のインパクトが薄い。


そこまでに衝撃的な映像に音響という、副産物が辛味な映画であった。
確かに女性視聴者にとっては、下品だとか野蛮だとか、目を背けたくなる品の無さは否定できない。
でも個人的にはそれが悪いとは思わない。
これは男性観衆や高齢向けを意識した作品作りになっているのだろうなと感じた。
およそ、原作読者であろう対象女性や若者の出鼻を挫き、一刀両断して見せたその意地の悪さは
どこか崇高な頑固さを感じて、個人的には好感触である。

二度見ても、登場キャラクターにフォーカスしない骨格も、やはり悪くなかったと思った。
シンプルに脳捜査という奇抜な設定が浮き上がっている。
死者の記憶を映像化して犯人を知れるという発想は実に類似性を見ない新鮮さだ。
死んでもなお語ることができるのだと勇む輩を正面から描く英雄像で、その理想を見出し
真実を暴く社会の困窮と、暴いた真実が必ずしも倖でない、残酷にも突き放す対比でその絶望を表現する。
構造としても、悪くなかった。

頑張って無謀にも稚拙にも疾走する主人公がラストに痛い目を見、未来を悲観する残酷さなんて
中々、現実を見る視点が冷淡で、好みである。

・・・・・ただ分かり難いっていうだけで。(そこが大問題)



■ストーリー
派手な映像に誤魔化され、こっちの脳が食傷気味になった頃、物語はいよいよ絹子と第九の闘いになる。

映画の主な粗筋――
露口一家殺人事件の犯人とされた男(父親)の死刑が執行され、その脳を第九が見ることになった。
行方不明のままの娘の絹子の居所を突き止めるためだ。
しかし父親は実は冤罪で真犯人こそが娘の絹子。父親は死ぬまで庇っていた。

死刑制度への不満も多い最中、死刑執行後にそんな冤罪がばれれば法務省としても権威を失うと
その情報は隠匿される。

もし、別件で絹子がまた犯罪を犯したら、その時は、まとめて裁けるかもしれない。
薪さんに助言され青木は当時の担当捜査官・真鍋と共に絹子を追い始める。
・・・・・という物語。


露口父が死ぬまで護った秘密。
法務省が威厳の自己防衛のために強要する秘密。
絹子が口を閉ざす秘密。
克洋くんが命を賭けて護ろうとした秘密。

秘密とはつまり人の裏側の闇であるというスタンスで、映画では至るところで秘密が溢れている。
そんな世界で、隠されたものを暴くというスタイルは一見、正義の顔をして存在しているのだが
そうやって暴いた末の結末と、暴き切れなかった秘密が
事実関係的にはラストに整合性を持たない。

持たない所が余韻だと言われてしまえば反論のしようがないし
必ずしもハッピィエンドを齎さないというのも面白い発想だし、難しいところである。


また、この世界では秘匿=悪というスタンスである一方
秘匿理由がどれも、誰かのためという泣けてくる人情だ。
その最たるものが、薪さんに隠された、貝沼の秘密=克洋くんが隠した秘密にあるのだろう。

しかし、そういう設定の重さは、通常、物語の中で
登場人物たちの思考回路や舞台の力みなどで深みを増していくが
とにかく脚本が抑揚が少なく薄味で攻めるので、あまりそこに切迫性も緊張感もない。

故に本当に重大なのか?という基本理念が視聴者に訴えかけてこないのが、勿体ない。
観客にとって意識して欲しい部分が何処なのかが明確でないので
折角の各々が抱える秘匿も、重さが足りない。

訴えて来ないのは、脚本の狙いがそこにないというのもあるかもしれないが
だったらどこなんだ。
何より、メインパートに重点を置くようなカメラワークだとか台詞だとか
そういう分かり易い構造にしていないんですよね。
だから派手な映像に皆隠されてしまう。

ドラマの文法が人情でないならその慎ましさは美徳だが
ミステリーという骨格は持っていないし、社会派という主張はしてこない。
所々主観でなければいけないところを客観的に見せてしまっているところもあり
幻覚という現象と相まって、客観事実が丁寧に繋がらない難易度は問題だろう。

登場キャラクターの心情のフィットするような脚本でもなく、事件性を追う骨格だから
余計そういうメンタル的な、或いは人間感情的な部分は、只でさえ希薄なのだ。


刑事モノというスタンスも、硬派な画面とは裏腹に稚拙である。
大体、一旦死刑が執行されれば、どんな事実が出ようとも
現行制度を否定するような情報を出すわけにはいかないことくらい
つまり、国と対立する訳にはいかないことくらい、分かりそうなものだが
第九VS国家という図式がまた、情報を巡る利権の違いを対立させてくる。

・・・ここ、どうせならもっと掘り下げてくれても面白かったのになと個人的には思っている。

個人情報は公益の前に塵とならないのか。
死者の脳を暴くことと、取り返しの効かない国家判断との課題は、同種であって
もっと重たく描けたと思う。
でも、ここでは情報を暴くことが正義。
その正義の努力が、最後に限界と罰――つまりは青木の負傷と絹子の逃げがちを見せるから
まあ、物語価値は相応なんだろう。

頑張った末にみんな手に入れられて、秘匿を暴くことが正義だなんて薄っぺらい着地点より
ずっとマシだ。



■クライマックスはどこか
脚本に於いて、どういうピラミッド構造を用いてプロットを立てているのか、そこが分かりづらい印象だったのも
勿体ない感じである。

まず、絹子を何の罪で捕まえられるかというメインプロットに付与されてくるのが
薪さんを病ませた貝沼はなぜ28人もの少年を殺したのか
克洋くんが頭を撃ってまで守りたかった秘密は何か・・・というサブプロットだ。

「私が死ぬまで分からないのよ」と逃れる絹子と、何か証拠をと求める警察の貪欲さの対比は
明確で、分かり易く、悪くない。
よくある刑事モノの王道である。

証拠は何も遺さない、絹子自身も記憶喪失だと嘯く中
只一つ、残る証拠は絹子の脳の中だという、「秘密」らしいもどかしさが用意された。

そのために薪さんが居るのね、という感じで、実は当該映画では薪さんは脇役である。
別に天才でもなければ、第九のリーダー的存在でもなかった。
むしろ、貝沼脳を見た唯一の生き残りという部分がフューチャーされているキャラで
ストーリーとしてのキーマンであり、そんな彼の脱皮の物語でもある。

彼の弱さや脆さを、正面から捕えるのではなく、欠点として諌めるような捕え方も
男社会目線だなと思え、面白い。

「薪さんは誰と戦っているんですか」

青木にそう責められるが、これは刑事らしい台詞だったと思った。そして新人らしい台詞でもある。
この映画が事件に偏向している以上、それは尤もな台詞であり、薪さんの弱さは卑怯でもある。
一番辛いのは捜査官ではなく事件被害者だからだ。
刑事である以上、自己防衛に走っていては欠陥であり、刑事の資格もないだろう。

誰かに言って貰いたかったこの台詞を青木がずばりと言ってくれたこの爽快感は、悪くない。


そんな彼が長年避けてきた記憶と対峙する。
一つの時代を終わらせようとする覚悟は高く、しかも、他刑事ドラマには無い一角ですよね。
この流れは一つの節目を描けていた。

そうして飛び込んだ未来に得られる代償もまた善悪素直な王道で
こういうところはしっくりとくる。

だが映画はここでクライマックスを迎えさせない。
確かに薪さんにフューチャーする作りでもないから、彼が成長を遂げたことに感情の揺らぎは薄いのだが。


事件を扱った映画なのなら、事件解決が頂点なのだろうが
そういう意味ではなく、事件におけるターニングポイントというか、着眼点というか
そういうものも汲み取らせてくれなかった。

結局、この映画の盛り上がりってどこなのという根本的なシンプルな疑問だけが延々と付き纏う。

例えば他にも、絹子を追っている最中に少年7人の一斉自殺が起きるが
これって、結構センセーショナルな事件だと思うんですよ。
なのに飛び降りてきた少年の図はかなり衝撃的なのだが(前記事で書いたかんじ)
その扱いはかなり杜撰で、あっさり流されるのが疑問だ。
簡単に言うと、劇中で、この事件の凄惨さは然程重要視されないというか、登場人物たちが然程驚かないというか。
(だから他の激辛映像に紛れてしまっているというか)


何もかもが淡々と流されていくのなら、そもそもベースが上がっただけで
この映画における重要性など何もないのと同じであるという錯覚に陥っていく。
・・・・物語とは、メリハリがあることで山と谷を認識するわけで
それがないのなら、観客はどこに焦点を置いたらよいのか、方向性を見失うものだ。

いや逆に、7人自殺のここを頂点としてこないのは、ここにも主眼点を置いていないと考えるべきか。




■克洋くんの記憶
となると、最大のメインディッシュは克洋くんの記憶ということになる。
確かにここは尺を大きく取り、さっきも言ったが、薪さんの成長という意味でも重要シーンだった。

それに伴う、恋人の脳を開く場面からしんどかった。
雪子さんの心中も痛く、皆の鋭い覚悟が波及していく、その緊迫感。
ここはほんと悪くない。

しかも、それまであれほど煩く騒ぎ立てていた音響が、ここにきていきなり止まる。
滑らかで棘の無いBGMに打って変わり、画面は穏やかな映像に切り替わった。
その演出効果も高く、こちらの感情は一気に解放へと向かわされ
なるほど、ここの高潔さを印象付けるためだったかと思えたほどだ。
克洋くん役の松坂桃李さんの演技も迫真で、ぶっちゃけ、かなり沁みた。

幻想と現実の間で、同じ想いを抱く二人に魅せられる。
お互い分かっていないだろうに、そして長い間誤解していただろうに
最期に残る期待は、相手への希望だった。
お互いの愛情が、そのまま悲劇へとスライドしていく運命の残酷さが惨く
翻弄された二人への無残な運命が、この信頼によって、反比例的に強調される。

そこで画面は克洋くんの脳内妄想から当時の回想シーンへと転換。

そこでは薪さんが必死にもう声も届かなくなった克洋くんを信じて必死に抱き留めている画。

くわあぁぁぁ~!!!
ちゃんとあの時、同じ時を感じていたんだなぁと、同じ温もりを与えあっていたんだなぁと実感でき
ぶっちゃけ、泣けた!!
花畑なんかで泣けたわけじゃない。理想語る二人に泣いたわけじゃない。
この、幻覚と現実の間で抱き合う二人の繋がらない、繋がっている想いにグッときた。

漫画ではしんみりきただけだったけど、ここは映像の迫力勝ちである。泣いた!!マジ泣いた!
裏切っても、届かなくなっても、命が終わっても
二人が時空を超えて想い合っている強さは、確かにこの酷い世界の中で唯一の安らぎが見える。
ただ一人が無償に受け容れてくれていれば、人は生きていける。

ベタベタな花畑だって、いっそホッとするというものだ。
感動というよりは、妙な解放感に脳が錯覚して涙腺を緩ませたというか、正にそんな感じであった。


・・・けどですね・・・!
その演出技巧は成功だから、せめてもっと立派な理由を用意して欲しかった・・・!

克洋くんが命を懸けてまで薪さんに見せたくなかった映像はあの程度のものなのか。
一般の人には、刑事である以上、理解しがたいものがある。
薪さんの覚悟が弱いのも反論出来ない。
刑事である以上、このくらいのリスクは想定内にしてほしいところである。

確かに貝沼の映像は、変な揺らぎとか平衡感覚を狂わせるような映像的作為もあって
見ていて気持ち悪くはあった。
でも、そんな抽象的な理由で視聴者は誤魔化されない。
浅すぎる秘密しか暴かれず、そんな秘密=映像でメンタル壊す刑事って・・・(泣)

こここそ、もっと暈して、内容は想像してくださいみたいなやり方も出来たのではないだろうか。
具体的に映像化してしまったことで、返って貝沼の特異性が薄らいだ気がする。
ってゆーか、ここに至るまで延々と見せ続けられた映像の方が余程病的だった。


また、そうして覚悟を決めた薪さんがいよいよMRIと繋がる・・・!
弱さを断ち切る男ってカッコイイ・・・!

うぃぃぃぃん。
「もう何時間?」
「五時間です」

長ぇな!そんなに長いのかよ!

ガタッ・・・。
「絹子と貝沼は繋がっていた・・・!」

それだけぇ!?

ええぇえぇぇ・・・???
いやいやいや。もうちょっと何かなかったんだろうか・・・。
このくらいの情報ならば、聞き込みで充分出てきそうである。

違う・・・何かが違う・・・。



■貝沼と絹子の違い
二人の接点もまた不可解だったし、貝沼と薪さんの接触もまた不自然だった。
そのことで、物語の重厚感が薄れてしまったのは否めず、ちょっと勿体ない。というか、非常に残念。

貝沼が財布を万引きしようとして、それを止め、警察には通報せず、札を渡した薪さん。
この罪を見逃したのなら薪さんが全面的に悪い気がしてくる。
そりゃ、普通にプライド傷つくわって感じだ。

手帳を見せておきながら通報しないって、何か心理的抑圧を与えてもいるようだし
ましてやお金渡すって、ちょっと個人の尊厳はどうなのか。
そうなると、貝沼が殺害を繰り返す理由が、ムカついた薪さんへの復讐とか嫌がらせに近いものになる。

施しを受けた貝沼の薪さんへの執着が、そういうありがちな逆恨みに成り下がっているため
そこまでして隠したかった秘密というものが描き切れなくなってしまっているのだ。
薪さんが無神経な人間で、それに対し、怒りを覚えた貝沼という図式では
恐怖もなければ、怨念・妄執といった、人間のどす黒い身勝手な感情が伝わらない。


ここは、薪さんが最後にMRIでこれを見ることを貝沼が想定しているのだから
つまり、薪さんの記憶に残ることだけのために殺人を繰り返す、歪んだ愛憎殺人であり
更に、同性への異常な執着はやがて薪さん自身への強姦だの殺人だのへの破壊飛躍も含めた危険認識だからこそ
克洋くんが危機意識を持った、という風にしないと、死にきれないでしょ、克洋くん・・・。

貝沼は薪さんを性差を越えて同性愛みたいな状況である部分まで組み込むと
LGBTというデリケートな部分も含み、映画では重荷だと考えられる。
だが、歪んだ愛情というものは他に幾らでもあるだろう。

そういう貝沼の歪んだ執着に不気味さと危険さを出させることで
そこが、絹子のサイコパスとの違いと成り得る最大の根拠であり、秘密の邪悪さでもあるのに
そういう違いがあまり伝わってはこない。
貝沼と絹子を同じファクターとしてしまったように感じさせる演出は、少々迫力不足だった。

事件に特化した構造にしているのだから、ここは最大の根拠であった筈である。
せめてここは力を入れて描き切って欲しかった。


・・・・・・でも、克洋くんの想いがピュアで
この世に希望なんかないなんて思っている薪さんがそれを見て
自分に希望を抱いて死んでいった克洋くんの希望を得る。
パンドラの箱の最後に美しいものを残す、その贈り物はこの酷い世界の中で確かに癒しであり
そこに泣けたので、まあ、いいや。



■真鍋の必要性
薪さんが過去に決着を付けている頃。
薪さんに脅され、過去の事件のけじめを付け始めた真鍋。
映画の基本プロットが、各々が未来に立ちあがっていく構図になっていることに気付く。
そこに潜ませる秘匿という概念が齎す「希望」は確かに映画の最大の軸である。

ところが、絹子の徹底したサイコパスに打つ手がなく、真鍋の方が次第に追い込まれていく。
真鍋には希望がない。自らの罪の意識(被害者宅で万引きしていた)も加速させ
暴走した正義というよりは真鍋の心の弱さが、彼を病ませていく。

そしてついに、痺れを切らした彼は、暴挙に出た。

絹子宅へ押し入り、脅し同然の振る舞い。
あれよあれよという間に、真鍋は犯罪一歩手前へ。
そして、昔の刑事ドラマさながらに、銃撃戦で死亡。
・・・・・・・・・・・うわあ。

かなりここは目玉飛び出た。
あんなに煩かったのに、こう来たか。

画面はどしゃぶりの雨にも関わらず、何故か彼の存在が消えたことでしんと鎮まり返ったような空虚を醸し出す。

そこで思った。
真鍋は「善意と悪意」「醜さと美しさ」そういう対比を体現させていた存在であり
その上で、秘密の世界観らしく、「あちら側」に落ちた人間として、真鍋が必要だったのではないか。

勿論、真鍋は直接貝沼脳を見ていない。
だが総合的なMRI捜査に於ける難易度の高さは下地として存在していた。
要は、MRI捜査に於ける他人の脳への侵蝕、あちら側へ引き込まれる人間の存在というものを
監督は存在させたかったのではないだろうか。

そう考えると、劇中、何度か雪子さんが口にする「あちら側へ行ってしまうんじゃないか」という危険性が
非常にリアルになる。
彼女が何を警戒し、どう懸念していたのか、それが具現化された瞬間だったのではという気がした。

人の脳を見るリスクは、相手の思考に呑み込まれるリスクである。
真鍋が絹子と関わり、のめり込んでいく内に、自らの脆弱性を暴走させ、落ちていった。
それは正に、MRI捜査で一番危惧していたことであり
それがひとつ、描かれたことで、映画の均等が保たれたような気がした。



■絹子の必要性
美人ではないが男を虜にする少女として、最後まで見れば確かに絹子は適役だと思えた。
女性目線で、なんであの女が?と思わせた時点で、役者さんは成功だ。

そもそも絹子の立ち位置って、「他人の脳を覗き見るなんて最低」「死神!」という
見られる側の生者の代弁者な訳である。
死んだ後に覗き見られる冒涜や守秘義務などの隠避を訴える位置付けであり
国家が存在確立と安定社会のために行う情報隠蔽という巨大正義のミニマムな部分である。
元々葛藤を抱えている第九の傷を暴き、お前らがやっているのはこういうことだと突きつける
所謂テーマを浮き彫りにする役割を担っていた。

彼女の台詞はただの罪逃れのための詭弁ではない。
情報を扱うリスクとして論理性のある存在だった。

しかし、物語構造が、そもそも最初から罪を暴く青木側を正義として描いてきているから
どうもその大事なメッセージが空転しているのだ。

絹子の台詞を際立たせるためには、秘匿を美徳とした下地が予め必要なのである。
死んだ後に、他人のプライベートを覗かれ、トイレまで大勢に視姦される、というダークな部分。
そういう部分が非常に弱いのは、青木目線で基本隠ぺい=罪としているからであり
絹子の台詞が単なる言い逃れの域を出ていない。

このテーマとしての弱さ、非常に勿体なかった。

その議論こそが、MRI捜査の抱える矛盾でありリスクであり
ひいては情報に対する社会議論に広がる。
薪さんと絹子がプールサイドで対峙した時などは、もっと踏み込んだ議論を絹子にはしてもらいたかった。
「おぞましいのはどちらか」ということを、もっと分かり易い言葉で知らしめて欲しかったなと思う。


そこは残念だったのだが、薪さんとの秘密を抱えた対比としての意味は面白かった。

「私は生きなきゃならないの。私を護ってくれた父のために」

直前、克洋くんの記憶を見て、その結論に至った薪さんと同じ気持ちを
今度は絹子に言わせる。
こうまで異なるシチュエーションで持ってくる。
つい先ほどまで薪さんは絹子の立場であった。
その皮肉も、鮮烈だ。
ここはニヤリとさせられた。っていうか、ここが私の頂点で、かなりゾクリとした。
突き付ける重さが比じゃない。

中々に面白い命題である。
そもそも最初から皆が抱える秘密は誰もが誰かを想っているものであって
それゆえに秘匿してきた。
そうすることで繋いできたとも言える。

そう言えば、人は人と関わることで生きていくものであり
暴く秘密は誰かの記憶であるのだ。
その記憶の上で、遺された者は生きていく。

記憶を冒涜するリスクを突き付けた原作とは異なり、映画は人の生きる糧へと変化させた。
秘匿という概念が齎す「希望」は映画の最大の軸である。
そしてその希望は、花畑でも最後に見せる人間なんかでもない。
誰かにとって隠された想いこそが誰かにとっての生きる糧なのだと本作は言う。

そういえば中盤、オリキャラで精神科医が出てきた。
絹子へ薪さんの情報を与える存在なので、絹子にとっては意味あるキャラクターだが
多くが精神を病んでいる設定だから世界観の一角ではある。
その彼の言う台詞で、「必死に生きようと足掻く人間の何が悪い」みたいな極論があったが
正に、野生味溢れるその奮闘が、生へのがめつさを感じさせていた。

拡大解釈すれば、国家が抱える秘匿もまた
その国家価値の一番底辺の部分に根付くものが、個人の日常の記憶であるとも言える。
解釈の違いは面白いと思った。


・・・・・・ときたら、絹子、生きようよ・・・。

海外逃亡したんじゃなかったのかよ。何故炎上。
ここは空港に警備を配置して・・・空撮でパトカーの赤いランプかなんかを夕暮れに点灯させ
雰囲気でフェードアウト・・・・・でも良かったのでは。逮捕の瞬間は描かなくても良いから。

秘密を持ったまま、死んでいった絹子。
脳が焼けるから、当然彼女の真意はもう誰にも暴けない。

結果これで解決したと思えない終焉になっていたことからして、ミステリーを見せたかった訳ではないことも
ここで分かる。
絹子には他人に知られたくない秘密があった。
それで引っ張ったのにそれを分からせないから、ミステリーとしては破綻する。

だが、脳情報捜査を取り入れたミステリーをやりたいだけなら、動機や背後関係の掘り下げが必要だが
この映画が描いたものが秘密=記憶と向き合う覚悟なのだとしたら
まあ、暈すラストもあり・・・・なんですか、どうなんですか。

情報を扱う社会としての何らかの解答、警笛みたいな主張は欲しかったと私は思った。
ここで絹子が情報を秘匿したまま美しく死んでいったことで、情報の個人主義讃歌と捉えられる一方
個人の暴走が結局は事件を社会をとん挫させてしまう。

情報の秘匿というテーマに沿い、何を訴えたかったのか。
多重の解釈を残す絹子の自殺は、一見観客に委ねているようでもあり
でも、逃げただけのようにしか見えない。何らかの製作者の主張が欲しい。



■記憶の美化
絹子の秘密は封じたまま終わる。
絹子にも美しいものはあったと匂わせたのか。

ラストは、絹子を追い詰める最後のほつれが、盲導犬の見た絹子の犯行だった。
絹子は人間の視野は警戒していたが、犬までは無頓着だったという盲点。
その犬をMRIに掛けることで、動機は分からずとも、絹子が犯人であることは証明された。
(このMRI・・・・誰が繋がったんだろう・・・犬とリンク・・・・)


全体的に陰惨な話で進められてきた映画であり、また衝撃的な映像の世界なので
ラストに救いを見せるこの工夫が非常に薄っぺらく映る。
これだけ陰惨な刺激を与え続け、あんなもので救われて堪るものか。

・・と、謎のまま終わって、最後を犬の記憶で締めたことは、かなり安直だと思ったが
人間ではなく犬が見た世界に素朴な日常が映っていたという世界の美しさが、皮肉でもあり
社会に対する悲観的な視点が伺える。

また前半余るほど費やされた負荷の高いシーンの反動で
視聴者の心の救いの不足分が、飢餓状態となり、返って安らかに見えてしまうから不思議だ。

一瞬、犬というよりは愛されている誰かの視点という意味だったのかな?とも思ったが
そこまでピュアにしたらあの前半が台無しになるので、やはり人間社会に遺された救いはないと私は解釈したい。
正確には、人間の周りにも沢山の美しいものがあるけど人間の眼には映らないのだろうと。
そうでなければここまで積み上げてきた本作のテイストが台無しになる。
少なくともあれは、幸福の象徴ではなく、異世界の象徴なのだと思った。


でも、そもそも、盲導犬という主旨なら、人間側のあの対応はあり得ない。構っちゃダメだろうて(笑)
普通に空とか花とかで良かった。



■青木
全力で投資して、全否定された青木は負傷し、でもなんとか一命を取り留める。
駆け出しの若い刑事が正義のままに奔走するしっぺ返しや社会の手痛い洗礼を受けたラストが
実はとても気に入っている。

青木は一旦そこから逃げるが、きっと戻ってくるのだろうな。
そうして社会人は一人前になっていくのだ。


誰にでも齎される優しい記憶が救いになるラストは、人の繋がりの純潔を匂わせ
ピュアなラストであった。
薪さんには克洋くんが。
青木にはこの犬の視点が。
絹子にもきっと家族の何かが。

思えば、恋人だったのに最後に回想もしてもらえてなかった雪子さんが一番貧乏くじだったかもしれない。
でも、薪さんが無事で、良かったねって思える。

・・・実は前記事でも書いたが、青木のこの青臭い感じと熱血な感じ。
原作の青木よりしっかり者に成長しそうで、好感度は高い。


そもそも個人にフューチャーした構造になっていない映画だからこそ
キャラクター描写が一切省かれ、その意味では誰にも感情移入できない造りとなっていた。
そこに主眼点がない映画だからそれはそれで構わないのだが
それでも、泥臭く戦っている男・・・かっこいいじゃないか。
事件に青臭く正義を募らせ、自滅していく者、堪える者、答えを見つける者。
人生が切り取られていて、必死さは伝わった。



■エンディング
そこに流れてくるSiaの「Alive」がまた不快である。
いやもうこれ、もっと他に何かあっただろうに、このチョイスである。

ここまで激烈な世界観をハードに見せられ、ようやく音響も治まり、怒声もなくなり
刺激的な映像も消える。
犬の目線で柔らかな陽の当たる映像にホッとしたのも束の間
この曲でまたあのハードな世界に戻される、この苦痛。

ハスキーに神経をピリピリと刺激してくるんですよ、ホント精神に障る。
エレキギターできゅいいぃぃんってやっているのに近い。しかも長いサビ。

犬の世界観の効果は台無しでした。
その分、人間の汚さや黒さは舞い戻ってきたと思う。
結局、監督が描きたかったのも、救いではなく
やはりそういう激烈な社会の刺激、社会の切り口なのだろうと推察される。

原作においては派手な設定よりも
丁寧で繊細な人間ドラマが捜査の過程で絡まることで多種の感動をもたらすのだが
それだけでは原作の本当の太さは理解していない。
脳捜査で暴かれる辛酸さもまた、原作者の訴えたい『秘密』の大事な骨格である。
キャラクター同士の安易な慣れ合いと擁護の裏で、その骨組みは相当熟考された本格指向である。

清水玲子先生の美麗イラストのままに、先生の描く世界観は綺麗で優しいものだという観念も
少々違うと思う。

その意味で、シンプルに事件を取り上げた切り口は多大に評価したい。
原作者さんが扱う人間の重さと
いっそ原作者さんさえ気付いていないかもしれない扱う世界の深部をこれでもかと映像化してみせた潔さは
徹底した漢気溢れるもので
見事に闇部を抉り出した本作品は私には充分秘密ワールドを堪能させてもらったという印象だった。



感想前半がコチラ
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[ movie ] CM0. TB0 . TOP ▲
2016*09*04(Sun)
映画「秘密-THE TOP SECRET」感想前半
すんげえグロイ・・・!ここまでエグイ映画初めて見た・・・・!

観に行ってきましたー!評価がこれほどまでに真っ二つになっている映画である。
見て色々納得です。
こりゃ地上波放送はないな。ヤバイシーンをカットするのは大変難しそう。
至るところがエグすぎて、ある意味R-12で大丈夫なんかと思ってしまった。
R-15くらいにはしておいた方が良さそうな画ヅラの数珠繋ぎ。
映像がとにかく奇天烈な映画で色々容赦ない。


秘密 -トップ・シークレット- 2016年公開
監督/大友啓史 脚本/高橋泉、大友啓史、LEE SORK JUN、KIM SUN MEE
原作/清水玲子「秘密 -トップ・シークレット-」(白泉社)



原作既読。アニメ未視聴。
原作単行本派なので基本原作を知っている作品はドラマ化されようが映画化されようがアニメ化されようが
観に行かないのだが、あまりに評価が割れ過ぎてて何をしでかしたんだと興味を持った。


まずは大枠からの感想です。
(拝見してませんが多分多くの秘密ファンとは全然違う視点なので、ファンの方は読まない方がいいです…)


◆演出面
全体的な印象としては、統一された少し暗めの画面と、やけに真っ白なMRIの対比が凄まじく
メリハリのある映像に仕上がっていた。
赤を差し色にしていて、冒頭、第九とは何かをブラック画面に赤字で説明する箇所からして
もう象徴的だ。

グロイところには必ず赤が差し込まれている気さえした。
血の色とか。幻覚の赤い波とか。

画面も大半は明度を落としたブルー系で統一され、陰湿な雰囲気が大仰なほど漂っている。
遊び心など一切感じさせない。
クッションとして空や風景といった閑話カットもなく一気に畳み掛けてくる気負いのようなものは圧倒的だ。
男くさい造りになっていて、硬派な警察ドラマを作ろうとした意思が伺える。
観客に媚びた部分がないのも、そのせいだろう。

そうやって徹底的に辛口のスパイスを詰め込んだ味付けになっているのにも関わらず
通常の刑事ドラマや警察映画にある、あのどこか高尚で厳格な犯しがたい権力の象徴というか
人智の及ばぬノーブルな気高さという雰囲気はあまりないんですよね。
よくある警察ものっぽくない。
出てくる人物たちに気品がないからか、どちらかというともっと下々の庶民的な切り口で
エリートさを一切感じさせてこない。

残忍な世界観とあの高潔な権力を同居させると
確かに法の中で固定された突き抜けられない世界になるので、敢えてこうしているんだろう。
興味深いところだ。


画面が多々に揺れるのも、しんどい世界観で、とにかく疲れる。負荷が高い完成度だ。
激しく揺さぶられ、恐ろしいものに踠く世界観がそういう息苦しさ、見難さからも無意識に伝わってきて
台詞やシーンでは伝えて来ない造りに、ちょっと面白いなと思った。

あと音でけえ。

ここは監督さんの意見を聞いてみたいところだが、音を大きくする箇所がやたら多い。
それも負荷を高める一環になっているのだが、その意味で全体的にギスギス感が漂う反面
音としてのインパクトは逆に薄くなっていた気がする。
車や生活音だけでなく、普通に効果音なども、観客の心を動揺させるかのように無駄にデカイ。

やたら多い音は、一貫性もなかった気がするので(この人物のときだけとか、このシーンのときとか)
ちょっと作為が汲み取れなかったのは不覚。


カットの繋ぎ方が、これまた荒削りだ。
時間軸などを丁寧に追ってくれないため、シーンが飛んだことも時間軸の変化が汲み取れない。
そこに幻覚も入るから、もうこちらの脳が現実と夢の境を失っていく。
青木がMRIを受けていて、でももうその映像分析結果報告とか、え、いつ終わったの?という感じ。
いきなりかなり時関経過があっただろうシーンが普通に繋げられてくる。

幻覚に入ったシーンを予め説明しては確かに幻覚としての効果は薄れてしまうんだが
そうじゃなくて、何故ここでいきなりそいつの幻覚シーンに繋がるんだよっていう幅広い世界の同時進行。
物語の進め方も乱暴である。

そんな風にガンガン進めてくる流れはスピード感というよりは、もう勢いという感じ。
男の力でガツンと引っ張られる印象に近いものがある。


また、直接的にかなりガツンとビビらせる挿入も多く、事件の凄惨さをインパクトで表現していたことも
特徴的だった。
あの少年が7名一斉に自殺するシーンとか。そこに繋がると思っていなかった所に、いきなり落下してきたよ。
ヒュッという音がしそうな勢いで挟み込み、そして一時停止させる、
そのしっかりと恐怖を観客の網膜に映し込ませる意地の悪い手法。


『幻覚を見る=それも視覚情報として記録される』
ここの再現も当然の如く、色々と衝撃的。
まあ、ここはここぞとばかりにホラーテイストで作れる箇所だからこそ、CGもメイクも凝っていた。
気持ち悪さもあるが、おぞましいというか、禍々しさを感じさせる他人の闇は
いっそ貞子が可愛く見えてくるレベルで
忌々しさなどが詰め込まれたビジュアルに、一貫してこの映画の世界観を象徴している。

それを派手な効果音と共に見せられるのだから
確かに何かのトラウマになりそうだ。こっちが。


それだけ、人の脳を見るということは、衝撃的であるということ
それを快楽を持って遂行した貝沼の脳は比較対象としての高さを容易に想像させ
つまりは、台詞やシーンなどなく、貝沼の脳映像の破壊的影響力を暗示しているものと解釈した。
他人の脳に衝撃を与える演出でなければ、そもそもこの映画の根幹が揺らぐんですよね。

いっそ、もう観ている方としては、無感情な感覚に陥ってしまう。
多様な衝撃的事象が積み重なり、脳が思考停止してくるような。
どうにもならないことに、もう成す術をなくしてしまうような。
連打される映像に、非常に精神が、確かに消耗させられる。

そうやって描く真意こそが、容易に触れる事件の凄惨さや、人の脳内を覗いてまで炙り出した他人の世界であり
監督が描きたかったのは、人物描写やキャラへの共感性ではなく
こうした脳を見ることの禁忌的な圧力みたいなもので
倫理を犯す行為に対する罪深さを、台詞ではなく感覚として観客に植え付けたかったのかなと思う。



次に映像化において特に目を引いたのが
MRI捜査という奇抜なアイディアを映画の中だけで理解させようという涙ぐましい発想力だ。
実際のMRI捜査ってぶっちゃけデスクワークで、それこそ動きもなにもないんですよね。
脳スキャンも、チューニングしていくことで探っていく面白さは、脳の広さや奥深さを感じさせるアイディアだし
漫画なら面白味もあるものだが、実写となると、そうはいかない。
画面に動きがないシーンを延々と流したら、ダレる。

ここまで積み上げた折角のハードな世界観も台無しである。

それを補うためであろう、脳と脳を直接シンクロさせていた。
なるほど、これは面白い。
あの無数の配線はそのための装置か!

死んだ脳を取り出さず、そこに電流を繋ぎ、それを生きている人間の脳波と波長を合わせる。
このシーンは数字を読み上げてチューニングし、徐々に合わせていく感じがちょっとアクティブで
ドキドキさせられる。
どんな映像が見れるのか?というキャラ視点の期待感もあって、中々切迫感ある映像となっていた。


また、作中でさり気なく言われるが、脳の映像は主観的なものであるということを
人の脳を通すことで、つまりモニタという客観的な媒体に直接映し出さないことで
その主観性(偏り)を伝えていたのかなぁとも邪推しました。

原作では、脳を見ることの難しさ、客観性をどこに求めるかとか危険性などを
長いページを割いて丁寧に描写してましたが、流石に映画でそこまでは出来ませんからね。


そのスキャンシーン。
だがエグイ・・・!
脳を髪の毛ごとメス入れるわ、ベリベリと肉を剥ぐわ、骸骨を切断するわ・・・。
音もリアルっていうか、わざと他の音を削除し強調させている。
ここまであれだけ派手な効果音立てていたくせに、ここだけ肉の剥ぐ音だけかよ!
いいんだけど・・・。キモチワルイ。

まさか、そこまでやっちゃう?と思っていたら、本当に肉を剥いで、切り取って脳をリアルに出してきたよ・・・。

漫画では脳だけがキャリーケースに入れられて送られてくるけど
死体ごと搬送だよ・・・!
その場で臓器切除だよ・・・!ぎゃあぁあぁぁぁ・・・・。
どんな猟奇技術だ。

原作者・清水玲子さんの美麗イラストではそういうグロさは、あるにはあるんだけどどこか神聖的なものもあって
大して気にしていなかったのですが
そうだよな、実際はこんな感じだよなと妙に納得してしまった。

綺麗すぎるから、意識させられなかった別の側面を、この映画は怖じ気ずに暴いてくる。


漫画では第九は一定の存在感を主張している組織で、作業もシステム化されてスマートに行われているが
映画では泥臭く、アナログ的に、具体性があって、よりリアルに感じられる。
実際はこうなんだろうなと、至る所で思わせられる造りなのが、いちいち面白かった。

なんか、映画設定では、第九が正式機関として認められるかどうかの最終試験段階ということで
そういうこともこういう泥臭い部分で表わしていたのかもしれない。


不満なのはセット。
第九のセットは白でしょう!!ここ譲れない!!

なんだあの、新聞社とか雑誌編集部みたいなデスク!ブルーがかった暗い室内であるのも疑問。
第九と言ったらあのだだっ広い空間に、無機質な病院みたいな殺風景さでしょう!
最先端技術を駆使した世界観を映像化しているのにも関わらず
第九セットに近未来感がなかったのは、尽く残念だ。

ましてや茶色・・・!くぅぅ、泣けてくる入り口。

パソコンモニタが殺伐と並んでいるのを想像しているのに、寄せ集まって書類に埋もれたような美術セット。
確かに警察仕事ともなれば、先入観としてそうなるのだろうし
白というのは、その後のMRI捜査で象徴的に使用したいカラ―だったのだろうから
使う訳には行かなかったのだろう。

でももうちょっと、配置とか・・・何かセンスを見せて欲しかった所だ。
昭和の叩き上げ刑事の吹き溜めじゃないんだ。発想が昭和なんだよ。
いっそスペース(宇宙)チックにしてくれた方が、まだ納得できた。
普通のオフィスワークより古臭く使用感があるセットに、ちょっと拘りは感じられない。
薪さんの上のあの巨大モニタ。スクリーンは良い感じ。



◆ストーリーというか世界観
テンポ良く、無駄なことは一切省いた流れは個人的には好感触だった。
特に、キャラクター描写を一切する気はない、事件だけに特化した造りは潔く、気持ち良い。
その証拠に、終始遊びの台詞が一個もない。
キャラクターが日常生活に関わる上で普通に発する、好みやぼやき、それこそ挨拶すら、ほとんどない。
役者さんに与えられているのは、事件や捜査に関することだけ。

そのことからも、描きたいのは第九の人間関係ではなく事件を通じた人の抱える秘密の部分なのだろうと
感じ取れる。


秘密という漫画の面白いところは
漫画で描かれる第九の人間性が、同時に描かれる事件性になんら関与しないことである。
このキャラクターだからこの事件を掘り下げたとかはない。

別に薪さんでなくても、一つの事件が訴える重さや深みはちゃんと独立した物語性を持っている。
そこが清水玲子先生の凄いところなのですが
だからこそ、事件を描くならキャラクターは誰でも良いわけで
事件性の方にシフトした造りはこの世界観で生きる男社会を真っ向から描いていたとも感じられた。

清水玲子先生のデッサンが綺麗なだけで、本当はこれ、美談でも美麗でもないんじゃなかとか
人物の優しさに隠されて、切なく終わっているけど、本当はそれで終わらせては駄目なんじゃないかとか
そういう、事件に対するリアルに事件の描写を求めた監督の解釈があって
第九らしい資質が分かるエピを幾つか取り出し描くことで
素通り出来ない事件への真面目な追及、覚悟が見える気がした。

本当はもっとエグイよねっていう、読者たちが見て見ぬふりした側面の切り取りみたいなものを
あからさまに突き付けることで
この作品が提唱する、尤も見難く根深い人間の抱える秘匿部分を抉りだして見せたのではないだろうか。
その上で原作者の巧妙に推し隠そうとした、綺麗なものや切なく美しい世界観の内側の
本当は隠し持っている無意識の醜い部分をも指摘し
原作者さんまでをも含む人間の汚い部分を見せ付けられたような、そんな気もする。
少なくとも、綺麗事を一刀両断した監督の皮肉みたいな叫びは受け取れた。

なんか色々凄いなぁと感嘆する方が大きい。


秘密という原作で描かれる、他人の秘密を暴くリスクや重さは
シリーズの中で人物を通してじっくりと描かれる大切な軸だが、映画では事件を通して描こうとする。

事件に向かい暴く刑事たちの行動には、秘密を暴くリスクへの恐れなど
綺麗事を言っていて真実へ辿り着けるのかという鬼気迫る強迫観念すら感じさせてくる。
確かにそこに記憶へのリスペクトはないかもしれないが、薪さんが克洋くんの脳を最終的に見る決断も
逃げていては何も解決しないのだという人生の覚悟さえ伺わせる。
刑事としての在り方もまた、男の生き様だ。

ツッコミたい箇所も私にだってあるにはあるが、あの勢いと映像の悪しきさと禍々しさの前に迫力負けだ。
生理的嫌悪感に訴えてくる気持ち悪さや禍々しさには手抜きがない。
そこに、監督の作品への誠実さと提唱は感じました。

訴えたいのは、人の秘密を覗き込むリスクだとか重さな訳で、そこは対面鏡な気がする。
清水玲子先生も優しく切ない世界観の中で描いてきたのはやはりそういう人の惨さやグロさであって
それを言えたなら、この映画は成功である。(気がする)



◆キャラクター
雪子さんかっわいーvvv
ちょっとウケた。

キャスティングもあまり把握しない、事前情報もほとんどなしで観に行ったので
彼女が雪子さんだとはちょっと思えなかったくらいである。
栗山千明さんの女性的な部分も相まって、なんだか線の細ささえ感じられてしまった。
こういう女性なら、可愛げがある。

ショートカットの栗山千明さんの雰囲気がそれに華奢さも加わった感じで
かなり良かった。似合ってるよー!

漫画の雪子さんは、私はそんな嫌いじゃないが、なんていうか、もっとガサツでゾウ足みたいな無神経さというか
なんかもっと根太い何かがある人なのにね。(偏見)


青木。
そっっくりー!!
いやいやいや。そっくりー!!性格はともかく、一番似てると思ったキャスティングである。
まんまじゃん!
よくもまあ、こんなイケメン&髪質までそっくりな人を見つけてきたもんだ。
岡田将生さん。

彼をイケメンと思ったことはこれまで一度もなかったのだが、細眼鏡まで青木で
むしろ漫画よりカッコイイ男に仕上がっていた。
髪形も良く似せたなぁ。
いやもう、クリソツ!笑っちゃうくらい!

ただ性格はかなりのイケイケくんで、野性味あふれる野心家風味。
漫画の青木ってどちらかというとおっとり系であるので、かなり男臭いテイストは違和感感じる人はいそう。

でも、主役というか話のナビゲーターでもある青木をおっとりに描いたら
この映画の質が落ち、台無しだ。
先にも触れたが、この映画で描かれるのは、事件を通じて人の秘密を模索する危機溢れる世界観である。
おっとり系では相殺されちゃうんですよね。
青木だって普通に男で刑事なんだから、一部はまあこんなもんもあるかもしれない。

むしろ漫画でもこのくらいの気概があった方が、いずれ薪さんの最高の部下と成長した暁には
頼れる中堅へとなれるのになぁと妄想してしまったくらいだ。
性格が違うと異論を唱えるひとはいるだろうが
漫画みたいなままに映画の短時間であんな風貌だったら、気持ち悪いだけになると思う。
ここは男の戦場だ。

新人なのに物怖じしない物言いだとか、生意気な感じが出ていて、無鉄砲な部分は良く描写されていたと思う。
彼の不完全さが物語の危うさとなり、先走る人間の浅はかさは物語に良く組み込まれていたと思う。
本当は薪さんを盲目的に慕う忠誠の部下に成長するのだが
まだ新人設定だったし、この映画にそんな裏情報は不要だろう。

事件にひたすら邁進する熱血刑事って感じでした。
でもなんで両親まで既に死亡設定なんだろう。別に彼の背後は暗くしなくても話に矛盾は出なかった。
というか、活かし切れていなかった気がする設定。


オリジナルキャラ。
何故こいつが居る?何でこんなオリジナルを入れたのか。
後から考えると、青木では不十分だと考えられたためだろう。
この映画にこそマッチした一課の刑事・真鍋。
大森南朋さん。

彼の存在感が映画への切迫感だとかざわつきだとか、不安感だとか焦燥だとか
そういう負の感情を全て体現されていた気がする。
彼の存在はデカイ。
青木では改変しきれなかった雰囲気の補佐的存在なんだろうと思われる。
恐らく監督は、この物語の構想を得た時、こんな人物にナビゲートしてほしかったのでは。
そういう世界観である。

ただ、それだと第九メンバーに熱い男はいないので、苦肉の策で、青木と半分こってことになった辺りか。
っていうか、彼視点で物語を進めた方が余程すっきりしていた気がした。



本命・薪さん。
生田斗真さん。
横カットで上目遣いでモニタを眺めるシーンとか、ちょっと目の見開き加減などがそっくりに見えた。
でも彼はイケメンじゃないんですよね。
目の雰囲気は似ているんだけど、鼻が団子でちょっとオタフク顔なので、美しくない。

美しさはこの映画には不要である。
不要であるが――・・・・・もうちょっと綺麗な人でやってほしかった。

また、彼が貝沼の脳を見た唯一の生き残りということで、精神を少し病んでいる感じを出したいのか
時々発作を起こすんですが・・・
何故太腿注射???
なんかアナフィラキシーショックとか糖尿病とかの類の持病に見えてしまった。
普通に安定剤を腕に注射では駄目だったのか。吸入器とかさ。

彼の特異な役作りはあまり造り込まれていなかったなという印象である。
いっちばん重要なのに!

・・・と思ったが、よくよく考えたら、この映画は青木と真鍋の物語が軸となっている。


事件性の方にシフトしたこの物語構造は、男社会を真っ向から描いていて
そうであるならば、いっそ、薪さんの優しさだとか青木のいずれの忠誠だとかは
事件の殺伐さや悲観性を排除するものでしかなく
潔くキャラクター視点にしなかった監督の采配は、悪くなかったと私は思う。

清水玲子先生の作品が訴えている素晴らしさはキャラクターだけでないと、声高に叫んでもいるようだ。
キャラクターが織り成す人間模様は
いずれ克洋くんを巡る愛情交錯に向かうが、それさえも、事件の前には私的事項である。



露口絹子。
父親の方は違和感なかったです。あんな感じで良かった。
でもまさかのセリフなし!椎名桔平さん!
娘の絹子。蛙みたいな少し目が離れている顔なのであまり美人ではない。
敢えて色気もない、美人ではない女性にこそ男は群がるという、男女格差を主張している印象だ。
返って異様さや不気味さが増していたように思う。
声は可愛い。
舌ったらずな感じが、私の中の何かのスイッチを押しそう。

でも、なーんか、彼女じゃ役不足というか。
少なくとも雪子さん役の栗山千明さんの方がインパクト濃く
同じ女性である雪子さんに画面で負けていては駄目でしょ。話のキーマンなんだから。
他に適任いなかったのか。



第九研究員。
何故女性がいる・・・!
いやもう、キャラよりもストーリーよりも、私はこういう部分が違和感。
映画として、ここに女性がいないと確かにもう男だらけで花も瑞々しさもない潤いのなさが画面に出てしまう。
分かる。分かるんだが・・・!

第九はその捜査の困窮さから、何人もの人間が耐えられず辞めていった場所であり
作中でもそう触れられるし
なのに何故名もないコイツが生き残れる・・・!

確かに天地は生き残ろうと模索できた唯一の女であったが、この映画には不要だろう。
第九で生き残るハードルの高さが示されなくなるからだ。


そして一番ツッコミたいのが、何故岡部さんより今井がでしゃばる・・・!(爆笑)

今井。何気に良いポジションであった。
岡部さんなんて台詞ほぼなしだぜ!まともなことしゃべったの、たぶん開始一時間過ぎてからだぜ!
すげえよ!あの岡部さんの存在をここまで邪険に出来る監督・・・!
似合っていたのかどうかすら判別する隙すらなかったよ!

だが、今井はもっと爽やかイケメンの印象が濃く、なんでこんな蛇みたいなネクラ系なのか。
理系オタクの偏見が形になっている印象だった。
ここまででしゃばるのならそれこそもっと、薄いイケメンで良かったのに。


んで・・・・・実際のストーリーなんですが。
すいません・・・・ここまで偉そうに書いておきながら、後日とさせてください・・・。
理由は折りたたみで。
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2016*03*01(Tue)
さらば あぶない刑事 あぶない刑事シリーズ完結編 感想
存分に楽しんできましたー!!クールな中年男の魅力をふんだんに散りばめた中高年のための映画。
なんかもうノスタルジーが凄くて、映画界の、或いは演出界の時代の節目に立ち会った気分です。
この先二度とこういう映画は造られないだろうなあという寂寞に感慨無量だ。

男のカッコ良さをこういう形で描いて見せてくれて、この二人に出会えていた人生で良かったです。


『さらばあぶない刑事』2016年公開
監督/村川透 脚本/柏原寛司


1986年10月に日本テレビ系列で制作されたTVシリーズ。
2012年6月より講談社から刊行された『あぶない刑事DVDマガジン』が
累計で120万部を売り上げたことを受け、新作の制作が決定となったという逸話。

2016年時点において
同シリーズ同キャストによる刑事もの映画の作品数としては『ダイ・ハード』6本を超え世界最多記録とのこと。

長い刑事生活を終え、いよいよ定年退職を迎えるタカさんとユージの最後の五日間のお話である。


~*~*~*~

ようやく行って参りました、あぶ刑事ラスト。
オヤジの渋さがくっそたまんない映画でした。くっそカッコ良かった。

そして同時に、日本の刑事ドラマの節目が見えました。
なにしろ日本映画なのにバンバン撃ちまくる。
簡単に人が死ぬ。
車が往来で転がる。
犯人が去り際に銃乱射。
いいんか!ってかもうソコどこだよ!なレベル。

あぁ、そうだったよな~・・・一昔前の刑事ドラマって銃が必須アイテムだったよなぁ。
発砲のハードルも低くて、みんなこんな感じだったよな~。(しんみり)
見ている内にそんな思考に陥ってしまう。

犯人にも明確な犯罪に対する倫理観や葛藤、やむを得ない事情がある訳ではなく
いっそ清々しく悪事に陶酔。
その堂々たる開き直りに、もうむしろどっちが悪役なんだか分かんない。

刑事ドラマに定番の犯人の告白編とか、そこにおける社会テーマなど、このドラマには存在しない。

踊るや相棒とはやはり対角線にある世界観なのだ。
って言っても私自身、あぶ刑事はリアルタイムで見ていた派ではない世代なんですが。
昔夕方4時くらい?に再放送やってたんですよね~。
まだ幼く、小難しいこと言われても分からなかった年頃ですから
この簡単な理由なき正義と派手さとコミカルさは、気軽に楽しめた。


故に、ストーリーに深読みなど必要ない。
ただただ、二人の渋さと友情に浸っていれば良い映画であり、事実、この映画もそう作られている。

確かに時代風潮に乗り、何らかのテーマ性を持たせたり
或いは社会派問題を捕り入れて問題提起してみたりは、しようと思えば出来るかもしれない。
だが、そんなことをしてしまえば、一定の評価は受けるだろうが
やっぱりそんなのはあぶ刑事ではないのである。


その派手な世界観に合った映像演出も、ビビットカラーで奇抜だ。
ライトの色のチョイスがネオン系だよ。
横浜の夜景もブルー調が強めの鮮度を上げている感じだし、カジノは大金が飛び交っている。
弾き語りをするお洒落なバーやテラスなどで、ダンスを。
女を口説く文句まで「俺は女の過去には興味ねぇんだよ」ときた。
もうそれバブル臭すらするよ!

銃を撃つその構えとか、もう溜息が出る程決まっている。
勿論グラサンを掛けて二人並んで立つ姿のスマートさも絶品。
そんな中を、もうそこどこだよの勢いで、モラル崩壊にタカさんとユージ、銃撃戦&肉弾戦。
タカさん、ハーレー手放しショットガン。
ユージは「ミュージックスタート」と自分で言って、勿論、あのBGMであの全力疾走。

還暦オヤジなのに元気だー!
車引っくり返っても無傷で二人、軽口叩いている。

くっそぉぉぉ~/////これだよこれ~っっ、あぶ刑事の世界ってこれだったよぉぉ~っっ!!!


舘ひろしさんのバイク乗りショットガンシーンと柴田恭兵さんの疾駆シーンこそ、あぶ刑事の王道だ。
年齢を感じさせない作りで見せ場として抑えてあって
その上で
挿入歌は柴田恭兵「Running Shot」
エンディングは舘ひろし「冷たい太陽」ですよ!

EDの映像は、こうくるだろうなと思っていた通り、これまでの軌跡を振り返るショット。
泣かせてくるぜー!!
もう、なんだろ、この王道路線。ほんっとゴチソーサマですという気分にさせられる。


ダンディ鷹山とセクシー大下。
こーんな肉食系で気障な台詞を吐ける刑事など、この先も出て来まい。断言。

良い意味でも悪い意味でも、変化や成長を一切入れない、ある意味硬派な造りで
劇中、ユージが懐かしい車に向かっていう台詞「昔の恋人に出会った気分だぜ!」
それはこっちの台詞だ。

京浜東北が走る線路下は古びた屋台だし、時代がそこに凝縮されていた。
ファンサービスもここまでくると、完璧すぎてコワイ。
(でも欲が出てくるもので、アレもアレも使って欲しかったと内心思っているのは内緒である)


あまりの懐かしさとアップテンポな世界観に冒頭から気分上々でした。
セキュリティが指紋認証システムになっていたり、犯罪が危険ドラッグだったりと
旬なツールを加えているとはいえ
当時の世界観を崩さずに作品を完成させてくれたスタッフに感謝したいです。
制作側の作品への誠意を感じました。

あぁぁ~煙草がなくなっちゃったか。



そんな訳で、ストーリーを楽しみたい映画ファンにはなんじゃそりゃ?で終わる映画とも言えました。
この映画が伝えたいのは、そんな部分じゃない。
つまり、見方を間違えると、何が言いたい映画なのか迷子になる。

この作品って
当時の彼らに熱狂し、共に時代を生きた私たち誰もが思っていた
タカとユージが定年間近のオジサンの歳になった時、どうなっているのだろうか?という
とてもシンプルな願望に、丁寧に終止符を落としてくれたものであると思えた。

タカとユージの互いへの思い遣りの魅せ方が、とにかっく最高にカッコイイのだ。

中盤、定年したらどうするか?と問い合うシーンがあるが
そこでタカさんは、今の彼女・夏海とニュージーランドで暮らすと宣言する。
それを微笑ましい目で見つめながら、自分にも夢があると応えるユージ。

だけど、ここではユージは具体的なことを言わないんですよ。
いや、個人的には最後まで具体的なことは口にしなかったと解釈している。

最後、大勢のモブに囲まれ、「弾数と敵数があいませーん」となって
その時タカが
「そう言えば、お前の夢ってなんだったの?」って聞く。

「結婚して子供作って、そこの子供をダンディな刑事に育てる」って応えるんだけど
その時は、もう、タカの夢は潰えていて
その上で、答えたこの台詞は、嘘なんじゃないだろうか。

タカが叶えられなかった夢を、今現在彼女がいなくて叶えられそうもない夢をユージが語る。
俺たち、誇大夢想家だねって笑う、ユージの優しさであり
だからこそ、タカが「お前と出会えて良かったよ」の台詞に繋がった。
・・・・ように、見えました。


夏海が殺され、教会から動けないタカに、敵地に乗り込む声掛けをしに掛け込んでくるユージ。
きっと、タカが彼女の傍に居たいと思う気持ちを尊重して
何も言えないだろうなと思ったら、案の定、何も言わずに引き返す。

んもう、これが思いやりじゃなくてなんなのか。
その上で、最後がいきなり
その夏海と暮らそうとタカた行っていたニュージーランドで二人がゴルフをしてるシーン。

なんだよ、夏海の変わりにユージを連れていったのかvv

更に、タカ&ユージと書かれた探偵事務所を。

ここで二人で仕事か。
つまり、この先も二人はずっと一緒なのである。
定年しようが、還暦になろうが、二人を繋ぐ刑事人生は、刑事辞めたって、それだけじゃない繋がりと絆を齎していた。
だからこそ、相棒だった。

もうさいっこーのラストじゃないだろうか。


中盤でもお互いの領域は大切にしつつ、唯一踏み込むことを許しているような台詞が随所にあって
例えば、デートの最中ユージがお邪魔することに気を悪くしないタカとか
うどん捏ねてるだの、蕎麦打てるだの、なんでそこまで知ってんの、そりゃずっと一緒にいたからな、みたいな。

特に還暦という老化や劣化を意識させるシーンなんかはないのですが
こういう馴染みの時間の長さが二人の仲の濃さを言葉でなく伝えていて
センス良かったです。

つまりこの映画って、本当に当時のコアなファン向けのファン感謝祭なのだと思った。



内容的には、ストーリーも展開が早くて、間のとり方も絶妙で、飽きさせることはない。
変に捻った悪役とか隠れたボスキャラが出てくるわけではなく
シンプルな構図は、派手な世界観の中にあって非常にアクがない。

ラスボスである、中南米の極悪犯罪組織幹部キョウイチ・ガルシア役の吉川晃司さんが
敵役の怖さと強さを兼ね備えた、無難なオーラで、このあぶ刑事世界に浮いていないのが凄い。

「イッツ・ショータイム」というユージの合図で
正に、「やるなら一気にね、一気に」のままに、縺れ込んだ工場地帯で
ようやく合流するタカとのクライマックスも、お決まりの流れでニヤリとさせられる。

そして、なんでだよっ!って突っ込みを入れたい、タカとガルシアさんのバイクに乗っての一騎打ち。

手で、クイクイと煽って、その挑発に乗るとか
今どき、有り得ないっしょ。
そのヤクザで堅気な世界観が、男の世界を存分に煽っているのだ。

その擦れた、かつての黄金期に、善悪どちらも生きるその世界観こそが
男のバカな生き様といいますか、今の時代が無くした熱さであって
そこに人はノスタルジーと共に、時代の終幕を見るのだろう。



そして、二人でそれぞれ二人のメインキャラを倒した後は、雑魚に囲まれて大ピンチという流れ。

恐らく相手の銃を奪いつつ、勝利というお決まりの流れだと分かるんですけど
だったらここで、その派手なシーンを何らかの方法で見せてくれればいいのに
ここでまさかの暗転。

こんな止め方するのかよ。

いや、タカとユージが一緒に修羅場で後で逢おう、と突っ込んだからには
もう、描きたい部分は終わった訳で、確かに惰性でダラダラとまだバイオレンスを続けるのかとも思うけど
いやでも、他に何かあっただろうとは思う。やり方。

か~ら~の~、ニュージーランドです。

描きたいのは、ヒーローじゃなくて、ましてや英雄ではなくて
ちょっと悪ぶった刑事の定年なのだ。
その意図が、あざといほど明確だ。
気持ちの良いのほほんとしたショットで、気分もほんわかでした。


まあ、中南米マフィアの一人が暴力団事務所に乗り込んで全員制圧とか
必要性が不透明だし
重要物保管庫に保管されているのを、数人のマフィアの銃器の襲撃で奪われてしまうわ
挙句、銃でぶち壊すのかも、報復としてはアリでも、今のご時世では、低知能。

突っ込み所は多々あれど、二人が一緒ならそれでいいか~~~~と思わせられる。



その他の気になった点。

カオルの存在。
彼女のキャラクターはあぶ刑事の斬新なビビット感の片側だった。
このぶっとんだキャラが味だったんだ。
でも、ここまでではなかったよな昔は、というのが正直な印象。

確かに彼女もオバサンになり、今回はコスプレを披露するから
終わってみて冷静に思い返すとかなり痛々しい。

でも、それを本編中に痛々しいと感じてしまった時点で、確かにそのひとはあぶ刑事世代ではない。

彼女が奇抜なファッションで、ちょっと突飛な言動することをスル―する環境が
タカ&ユージの型破りな言動やちょっと行き過ぎたモラル感を、相殺していると考えられる。
いわば、カオルが緩衝材なんですよね。

現在の新規ファンなんか、求めていないことが分かる。


しかし、カオルが変だと思うのは、タカとユージ目線であるのが元来の姿であって
変わり者のタカとユージに物怖じしなく
むしろアウトローに煙たがれる彼らに警戒心なく近付くから「変」なのであって
そんなタカとユージを温かく取り巻く環境であった港署が「変」なのであって
我々一般目線に、彼女自身の資質を変と感じさせてしまっては、目的が違うだろう。

ラストに、彼女に結婚を申し込ませるオチに繋げるのだとしても
それをギャグで落としたいのだとしても
少し、もう少し、なんとかならなかったんだろうか。最後なんですし。


教会で涙にくれるタカに、ハッパを掛けにさっそうとヒールを鳴らすカオル。

「一人で行っちゃったわよ」
「・・・・」
「へぇ、行かないんだ」

そうそう、こういうのが、彼女の役割であり、これぞ、彼女の仕事だったでしょう・・・・。
もっと、そういうシーンを見たかったです。



重要キャラといえば、トオルくんだ。
この仲村トオルさんの贅沢な使い方!!
浅野温子さんもベテラン俳優さんですが、チョイ役で見せどころもない、この使い方は
当時の名残というか、当時の駆け出しの頃を思わせるわけで。
こんな大御所さんがこのトオルくん役をやっているという、この不思議な感じ。
たまらん・・・。

成長したよなぁ。色んな意味で。

呼びだされたり、一緒になって馬鹿やるとかはなかったですけど
「女紹介する」
「何年それで騙せると思ってるんですか!」
不覚にもこのやり取りに吹いたよ。

そしてラスト。壁に目を反らしながら、銃弾と車を提供。
いい仲間じゃん!
ひたすら無事に定年退職の日を願っている姿も、良かったです。微笑ましいったら。



※あぶない刑事が最後の映画化と聞いてテンションが壊れた記事がコチラ
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2015*06*30(Tue)
テルマエ・ロマエⅡ 感想
そこそこ面白い映画でした~!相変わらず芯がない。いや、Ⅱは芯を入れようとして失敗したという感じ。
なので結局基本フォーマットは同じまま、御大層なメッセージ性も特になく
笑っちゃったもん勝ちという娯楽作品でした。
前作と同じく、阿部寛さんの顔芸と裸体を愉しむための映画ってことでもう良いかもしれん・・・。
ぷりっぷりしたケツが彫刻のようだった。


テルマエ・ロマエⅡ
監督/武内英樹 脚本/橋本裕志 原作/ヤマザキマリ
興行収入44.2億円



阿部寛さん他、日本人なのに濃いいお顔の方をこれでもかというほど集め
彼らにローマ人役をやらせてしまうという、それでも違和感ない濃いい画面がある意味凄い映画・第二弾。

相変わらず画ヅラがクドイ~~~~www
日本人が欧米系に混ざっているのに、違和感のない違和感。ナニコレw
画面を見ているだけでお腹いっぱいだ。


浴場設計技師ルシウスは、ハドリアヌス皇帝から
コロッセオで戦うグラディエイターたちを癒すテルマエを設計してくれと頼まれる。
しかし、風呂で癒すなど、発想がまだなく、苦悩する。
そうして悩みながら自分も風呂に入れば
はいはいはい、タイムスリップ発生。

このタイムスリップ。
直前まで苦悩していた思考が反映されるというとっても便利な代物で
今回ルシウスに知恵を授けてくれる、平たい顔族の入浴シーンは、なんと相撲部屋。

日本の相撲力士たちが所狭しと入浴中。
なるほど、彼らが平たい顔族のグラディエイターというわけか。

この辺の発想のシフトの妙味が、この映画の最大で唯一の(笑)楽しみ所で
今回も、そのそう来たかと唸らされるリンクは、失笑も苦笑も冷笑もなんでもアリだ。
更に、そこでのカルチャーショックを
ルシウスが解釈を大きく間違えていく文化のギャップというのも、この映画の醍醐味の一つ。
どうやってローマで再現するのかと、もうすっかり馴染みとなった期待感に、つい胸を膨らませてしまうv


Ⅰの時に、そういうこの映画の楽しみ方のコツを覚えたので
つまり、どうせ大した内容も無いままほぼラストまで突っ走られることは範疇なので
今回はその行ったり来たりの変換構造の面白さを普通に楽しめました。

しかし、そうなってくると
コントとしては上出来なのだが、映画だと思うと大変つまらない。
映画と思ってこれに1200円払うなんて絶対嫌だ。



そもそも、冷静に振り返ってみれば
今となっては餃子もウォータースライダーもみんな日本独自の進化を遂げているが
それ、全部外来文化じゃなかったっけ?って話であって・・・。

日本人としては
前作のように、ウォッシュレットとか温泉の効能・湯治と言った独自の和文化で勝負してほしい訳ですよ。
それこそ、草津の湯でも良かったんじゃないのか。
だって折角のこんなにストレートな日本謳歌な作品なんですから。
そこに密かな誇らしさを抱くことに、愛国心とまではいかなくとも
なんか、この国の人間で良かったなってちょっと思える視聴者側の癒しが生まれるのだと思う。

指圧師とかは日本?・・・いやなんか、中国四千年とか思い浮かべちゃうし・・・。

そんな外来文化ごっちゃ混ぜにして
日本人が平たい顔族ってこんなに凄い文化なのだと、ローマ人に言わせる辺り
奢りを感じるのは、沈黙が金な日本人だからでしょうか。
(これがアメリカ人によるアメリカンな話だったら、アメリカ人は別に気にしないのかも)

もっと突っ込んだ言い方をすれば
漠然と、和文化というだけで善とし、問答無用で感動してしまう流れが違和感を感じさせてしまうのだ。
頭から衝撃=称賛ではなく、丸のみでリスペクトさせるのではなく
もっと精査し、こういう部分が素晴らしいと具体的に見せていくべきだったと思った。

更に言っちゃえば、もっと湯文化に対するウンチクを知りたかった。

まあいいや。笑えたし。




さて、実際の内容なんですが、やっぱり何もないまま、温泉掘り当てて終わるだけのお話でした。
ただ、前作の「だから何だ!」と言いたくなるような脚本ではなく
一応、言いたいことに含みを持たせている。
それが上記した、グラディエイターがキーワードとなっている訳ですが。

今回は、前作のような中身の無さを挽回すべく、『戦と平和』という大きなテーマを持ってきたように見受けられた。
ハドリアヌス帝は平和推進派とし、武力行使派として元老院をピックアップし
その対立を描いていく。


しかし、これがどうにも中途半端で!
尤も、そういうシリアスな物語ではないのだから、曖昧な感じが落とし所としたいのかもしれませんが
それにしたって、入れるならもう少し筋を通して欲しい。
下手な思想が入ってしまったばかりに、他が中途半端な分、全体的にも劣ってしまう要因になった。

島国である日本と異なり、諸外国と隣接しているローマでは、戦いこそが平和のシンボルであり
そうして領土を護ってきたのだから
戦わずして平和を願うハドリアヌス帝の思考はちょっと理解し難いし、甘すぎる。
鎖国している訳でもあるまいし。

戦が忌むべきものとして人間尊重を唱え始めるのは、もっと後の時代であり
その辺の歴史考察がごっちゃごちゃ。
ローマにはローマの良さがあるだろう。
日本だって平和主義を唱え始めたのは、大戦以後じゃないのか。

今の現代日本に合わせた価値観・主観を古代ローマに取り入れても、訴えるものは弱い。
ああそうね、平和っていいねって思うだけの根拠も結局示してこないし
それで納得するのは小学生だけだろう。(小学生でも無理かも)

器だけ持ってこられても、思想の対立にはならないと思う。
故に元老院との対立が、然程、切迫感や重要性を持たないため
何か画面に緊張感がない。


それを分かっているのか、ルシウス本人にリミッターを預けようと
真実を魔女裁判に掛けると捕獲。
突然ラブストーリーに方向転換。・・・・まあ、いいけど。

しかし、二人が奇妙な必要性をお互いに感じている(少なくとも信頼はある)仲になっていることまでは
分かるのだが、そんなにラブラブした関係じゃなかった気がするのが、これまた難点。
入り込めない。

そもそも、ルシウスの天然っぷりで湯文化が可笑しな発想を生み出してくその一角に
この真実との恋も真実の空回りしている風味が、面白さを出していたように解釈していた。
ここに来ていきなりの、一足飛びか。
本当に視聴者置いてきぼりである。


まあ、それでも、混浴という文化解釈を広げて
相いれないもの同士も融合するという、境目も身分も性差もない風呂文化を
理想郷(ユートピア)として崇めるラストは、ほんわかしたものだった。

コロッセオで、無益に人を殺し合うことは、確か当時の市民の娯楽だった気がするんですけど
(あれ?闘牛のほうだったか?)
戦いに、興奮ではなく痛みを覚える高尚な感情を持つルシウスにとって
殺し合わないグラディエイターを具現化している現代の日本文化は、正にカルチャーショック。
それを、生温いだの、軟弱、ではなく、桃源郷のように思えても無理はない。

そういう感覚は、正に現代日本の思想・文化であって
コロッセオを否定し、人命を尊ぶ思考は
何だか、平和と共に論ぜられる、武力による拡張主義の対立を、皮肉っているようにも感じられる。
その究極の姿が、一番誰もが無防備な裸になる風呂だなんて
何だかそれこそ、究極の形を見た気にさえなった。

故に、そんなわけあるかーっっってツッコミ(反発)も、脳内の片隅で異常に起こるw

起こるが――
それも含めて、スコーンとした爽快感が行きわたる。


そこに、ルシウスと真実の別れが重ねられる。
真実が持っていた古代ローマ史によれば、この三カ月後、落石事故でルシウスは命を落とすらしい。
行かないでという真実に、テルマエ技師として死ねるなら本望だと言い
それまでずっと真実のことを想っていると告げる。

それで泣いてしまったために、魔法が解け、真実は現代に戻ってしまうため
生き別れかと思わせられるエンディングだ。
それが、ちょっと爽快感にミントのような爽やかさが加味された読後感となって――
埃臭いローマの土木作業ばかり魅せられる本作にとって
要るような要らないような・・・・。

悪くはない。

勿論、その後、真実が持っていた歴史書が偽物・・・という何とも肩透かしなオチが待っていて
つまり、ルシウスの命は続いていて
んー、これ、ふざけんなと取るべきか、良かったねと取るべきかw


もっと思い入れのある作品だったら、余計な味付けすんなって激怒すると思うんですけど
適当に茶だの酒だの呑みながら観ている程度で充分な映画なので
終わりさっぱりで、まあ、良かったんじゃないの、という印象。
こういう映画も、これはこれでアリだと考える。



振り返れば、ずっとグラディエーターの殺し合いを見せられ
ケイオニウスとジェイオニオスのゲイ?の後ろめたさまで加味された兄弟争いが続き
ハドリアヌスと元老院の、主導権争い。
そんな殺人や戦いの話ばかりが氾濫し
ギスギスした物が前作に増して色濃く描かれていくのは確かだ。
平和解決の物語となれば、安価なホームドラマで愛だの恋だのを必死さを描けばそれで泣けると思っている。
そんな昨今のドラマとは一線を画し、この映画がラストに示すのはやっぱりお風呂。

何だかとても斬新な気がしてくる。

前作でもそういう癒し的な象徴として湯を奉っていたが
今回はそれが更に対極ファクターとして露骨だ。

日本文化でも外国文化でもなく、お風呂。
みんなが裸になって湯に浸かる。

それで何が解決する訳ではないことは、私達日本人が一番分かっているが
考えてみれば、日常の嫌な事や辛い事も、湯船に浸かって癒す私達の日常が
一番ユートピアだと言っている。(かもしれない)


まあ、細かいことはいいや。
風呂にでも入ってのんびりしてくる!v
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